シャルトル大聖堂 正面
1260年に落成式を行った、
ゴシック様式建築の代表的な建築。北フランス、パリの南西約150kmの司教都市シャルトルにある。正面に高さ120mの双塔をもつ。また内部には直径9mのバラ窓をはじめとする大小様々の
ステンドグラス(絵ガラス)が見られる。このステンドグラスはヨーロッパ第一の美しさと言われている。ただし、詳細に見ると
ロマネスク様式も所々に見られ、ロマネスクからゴシックへの過渡期の建造物とされる。
世界遺産 シャルトル大聖堂
南側の「黙示録のバラ窓」
フランスのゴシック式建築としては、パリの
ノートルダム大聖堂、
ランス、
アミアンと並ぶ代表的な大聖堂建築。12世紀末に建造が始まり、何度か火災に合い、13世紀中頃に完成して現在の姿になった。その後は、第一次・第二次の世界大戦でも戦火を免れ、1979年に世界遺産に登録された。
シャルトル大聖堂は、正式にはシャルトル・ノートル=ダム寺院といい、1195年に六つの教会のあった神聖な場所に建立されたゴシック建築の傑作で高い尖塔が聳え、周辺の壁面にはそれぞれステンドグラスの大窓が設けられている。西の正面の大きなバラ窓は聖母マリアを象徴し、魂や永遠、太陽、そして宇宙を再現している。左の写真に挙げたのは南側にある直径10メートル以上の「黙示録のバラ窓」といわれ、1221~1225年にピエール・モークレルクにが制作した。新約聖書の「ヨハネ黙示録」のビジョンを顕しており、キリストを中央に12使徒を象徴する円形の小窓が並んでいる。大聖堂北側の直径13メートルの大窓は「聖母の栄光のバラ窓」といわれ、3つのバラの中で最も新しく、聖母マリアの旧約聖書と新約聖書の物語を描く。マリア像の周りにはキリストの祖先、旧規約の十二王が展開されている。 →
Cathedrale de Cartres 公式ホームページによる。
シャルトル大聖堂が建造された時代
世界史と気候変動の関わりを研究しているブライアン=フェイガン(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)は、10~13世紀のヨーロッパは温暖な気候だったとみて「中世温暖期」と呼んでおり、この時期に農業生産が増加し、人口が増え、
ヴァイキングの航海や
ノルマン人のイングランド征服などが行われ、人びとはシャルトル大聖堂に代表されるような大聖堂の建設に熱心になった、と指摘している。
(引用)大聖堂はいずれもそうだが、シャルトルの大聖堂もまた中世の暮らしにおける磁石の役割を果たしていた。シャルトルの地には1500人ほどの住民しかいなかったが、大きな祭りのときには1万人もの訪問客が大聖堂に詰めかけた。大きな鐘は祝いごとや弔いがあるたびに鳴らされた。警報が鳴ることもあれば、勝利の喜びや危機を知らせて鳴り響くこともあった。毎年復活祭がくるたびに、新しい明かりが灯されてキリストの復活と新しい農耕の季節の始まりを祝った。信心深い人びとは1000本の蝋燭を灯して村から村をまわり、家々を訪ねて生命の復活を祝った。秋になると、暖かく実りの多かった夏の収穫を満載したたくさんの荷車が運びこまれ、神への捧げものになった。……大聖堂もまた地球の気候現象の産物だったのだ。中世温暖期がもたらした遺産である。<ブライアン=フェイガン/東郷えりか他訳『歴史を変えた気候大変動』2009 河出文庫 p.62>