マラッカ海峡
マレー半島とスマトラ島にはさまれた海峡で海上交通の要衝。15世紀、マラッカ王国がイスラーム化。16世紀以降、ポルトガル、オランダ、イギリスが次々進出。
マラッカ海峡 GoogleMap
ポルトガル、オランダ、イギリスの進出
マラッカは1511年にポルトガルのインド総督アルブケルケによって征服され、さらに1641年からはオランダの支配を受けた。次にイギリスが進出し、1819年にはラッフルズが現地のジョホール王に海峡の出入り口にあたるシンガポールに商館を建設することを認めさせ、さらに24年には正式にイギリス領となった。1824年にはイギリス=オランダ協定でマレー半島はイギリス、スマトラはオランダに勢力分割で合意、さらにイギリスは1826年に海峡に面するペナン、マラッカ、シンガポールの三港を海峡植民地とした。マラッカ海峡は、昔から海賊の多いことでも知られ、現在でもときどき海賊が出没する。文明の十字路
(引用)古代マラヤ人にとって、マラッカ海峡一帯はどのようなものであったか。ここは、東の中国と西のインドをつなぐ海の道の重要な交通路だった。しかも有史以来、大陸から太平洋方面へと南下する移住の道でもあった。マラッカ海峡は、大地と海の奇妙な配分が生んだ地球上でも稀にみる東西南北の十字路である。しかしその地元には、残念ながら、大文明は生まれなかった。東か西の文字による他人の記録だけが、マラッカ古代史に手掛かりを与えてくれる。漢字による中国史書、サンスクリット、パーリ語などインド系言語による説話、アラビア文字によるペルシア、アラブ系の史料、そしてヨーロッパ語による記録などである。土地の人間は、その暮らしの古い痕跡をほとんど残さなかった。<鶴見良行『マラッカ物語』1981 時事通信社 p.26>
マラッカ海峡の人々
(引用)マラッカ海峡が東西南北の十字路であるという性格は、有史以前から今日まで変わっていない。ここに居を定めた住民は、この条件に適応して生きてきた。海洋生産体系から独自の交易社会が生まれ、定着農耕社会との葛藤・包摂が歴史を進めるダイナミズムとなった。交易商人は、古くから外部市場の動向に敏感である。自前の輸出物産をさほど持たないこの地域でも、香料以外に比しナマコやミナンカバウ(スマトラ北西部)のコーヒーのように、新しい商品を開発し、独自に東と西へ売る動きがある。・・・<同書 p.364>
マラッカ海峡の植民地化
(引用)農民、漁民、商人は、この土地でも、暮らしをよくするためには工夫をこらし、精をこめて働いた。かれらの側に、歴史発展の上で弱点らしきものがあったとすれば、主として地政学的な仕組みのゆえに土地に根づいた大国家を築けなかったことだろう。しかし、十六世紀に渡来した西洋列強は、住民の精励や工夫をも圧倒するほどの力を持っていた。資本と科学技術である。単なる港、商館にすぎなかった植民地が、やがて内部へと伸びていった。資本主義市場に直結した、まったく新しい産業社会が形成されていった。中国貿易に従事するイギリス商館は、同時に、スズ鉱、ゴム園の持主となった。定着農耕と海洋交易という二つの生産体系に、新しい産業形態が、外部の力で無理やりに創出された。プランテーション形式で運営される植民地産業である。植民地主義は、住民からの収奪によって、ますます住民との差を大きくした。富めるものはいよいよ富み、貧しきものはさらに貧しくなった。<同書 p.364>
現在のマラッカ海峡
(引用)今日、マラッカ海峡は、日本のための資源エネルギー海峡、軍事大国の航路となった。だから米軍が日本自衛隊をも巻きこんで、マラッカ住民に何の断りもなく、海峡を想定した軍事演習を実施し、日米財界人が一体となって、わがもの顔に水爆利用の運河計画をたてたりする。・・・「マラッカ海峡は日本の生命線である」経済同友会の指導者が1969年にこう叫んだのとまったく逆の意味で、私もそう考える。日本がこのまま経済成長路線を進めば、ということは日本人が日々の安楽を求めて仕事に精を出せば、マラッカ海峡の政治経済的は負荷はますます増え、その矛盾はいつか爆発するに違いない。<同書 p.365>
Episode 水爆による運河開通計画
※文中の「水爆利用の運河計画」とは、1973年に明るみに出た、アメリカ・日本・タイなどの政界・財界・官僚によって検討されたマレー半島クラ地峡運河建設計画のこと。当時、タンカーの大型化、便数の増加などに対応するため、日本の財界からマラッカ海峡に替わるインド洋・南シナ海をむすぶルートの開発が急務とされ、その一つとしてマレー半島の最も狭い地峡であるクラ地方に運河を建設する計画が持ち上がった。その工期の短縮には水爆の利用が検討されたのである。<その経緯、問題点に対は、鶴見良行の前掲書序章、おおび同『東南アジアを知る』1995 岩波新書 p.54-80 に詳しく述べられている。>