第7章 諸地域世界の交流
1 陸と海のネットワーク
Text p.159
ア.草原の道
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a 草原の道 :南ロシア → カザフ草原 → モンゴル高原 → 中国 を結ぶルート。
b 遊牧騎馬民族 が活動。以下、このルート上で活動した主な遊牧民族。
b 遊牧騎馬民族 が活動。以下、このルート上で活動した主な遊牧民族。
前6~前4世紀 c スキタイ :イラン系か。南ロシア草原を支配。ヘロドトスも言及。
前3~後1世紀 d 匈奴 :モンゴル高原で活動。大遊牧国家を建設し、秦・漢と争う。
2~6世紀 e 鮮卑 :モンゴル高原を支配、五胡の一つ。中国に進出して華北に北魏を建国。
前3~後1世紀 d 匈奴 :モンゴル高原で活動。大遊牧国家を建設し、秦・漢と争う。
2~6世紀 e 鮮卑 :モンゴル高原を支配、五胡の一つ。中国に進出して華北に北魏を建国。
Text p.160
4~5世紀 f フン :カザフ草原から西進してゲルマン民族を圧迫。匈奴系説もある。
5~6世紀 ▲g 柔然 :モンゴル系。モンゴル高原からタリム盆地に進出。
6~8世紀 h 突厥 :トルコ系。大遊牧帝国を建設するも、583年に東西に分裂。
8~9世紀 i ウイグル :トルコ系。可汗を王とする国家建設。安史の乱で唐を応援。
9世紀 ▲j キルギス :トルコ系。840年、ウイグルを滅ぼす。
10世紀以降 k トルコ系民族 :イスラーム化。カラ=ハン朝・セルジューク朝・ホラズム朝など。
13世紀 l モンゴル民族 :チンギス=ハン以来、モンゴル高原から周辺に征服活動を展開。
→ その結果 m ユーラシアの東西に、交易のネットワークが拡大された。
= カトリック宣教師、マルコ=ポーロの活動などが活発となる。(4章3節参照)
▲14世紀 世界的な黒死病の流行、オスマン帝国の台頭、元の滅亡 → 東西交流の衰え
5~6世紀 ▲g 柔然 :モンゴル系。モンゴル高原からタリム盆地に進出。
6~8世紀 h 突厥 :トルコ系。大遊牧帝国を建設するも、583年に東西に分裂。
8~9世紀 i ウイグル :トルコ系。可汗を王とする国家建設。安史の乱で唐を応援。
9世紀 ▲j キルギス :トルコ系。840年、ウイグルを滅ぼす。
10世紀以降 k トルコ系民族 :イスラーム化。カラ=ハン朝・セルジューク朝・ホラズム朝など。
13世紀 l モンゴル民族 :チンギス=ハン以来、モンゴル高原から周辺に征服活動を展開。
→ その結果 m ユーラシアの東西に、交易のネットワークが拡大された。
= カトリック宣教師、マルコ=ポーロの活動などが活発となる。(4章3節参照)
▲14世紀 世界的な黒死病の流行、オスマン帝国の台頭、元の滅亡 → 東西交流の衰え
イ.オアシスの道
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a オアシスの道 :パミール高原・天山山脈・タリム盆地周辺のb オアシス地帯 を結ぶ。
天山北路 ・ 天山南路 ・ 西域南道 の3ルートがあった。
天山北路 ・ 天山南路 ・ 西域南道 の3ルートがあった。
→ c 中継貿易 が発展し、東西交流の重要なルートとなる。
特に、イラン系d ソグド商人 の活躍(中心地サマルカンド)→遊牧国家との交易
→e マニ教 、f ソグド文字 などを東方に伝える。匈奴と中国の 絹馬貿易 を仲介。
特に、イラン系d ソグド商人 の活躍(中心地サマルカンド)→遊牧国家との交易
→e マニ教 、f ソグド文字 などを東方に伝える。匈奴と中国の 絹馬貿易 を仲介。
Text p.161
中国の生糸・絹が西方に伝えられたので、g シルクロード(絹の道) と言われる。
→ ヘレニズム・イラン文化・インドの宗教などがこのルートで中国に伝えられる。
→ ヘレニズム・イラン文化・インドの宗教などがこのルートで中国に伝えられる。
・補足:シルクロード探検の一こま
楼蘭 王国の発見:楼蘭は紀元前から東西貿易の要地として栄え、漢と匈奴はその地の支配をめぐって激しく争った。前77年には、漢は楼蘭を鄯善(ぜんぜん)に改め、属国とした。しかし、タクラマカン砂漠の乾燥が進み、いつしか荒廃し砂漠のなかに埋もれてしまった。1901年、この地を探検したスウェーデンの地理学者スウェン=ヘディンは、ロプ=ノール湖(さまよえる湖)とともに砂漠の中から楼蘭の都の跡と思われる遺跡を発見した。
ウ.海の道
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・a 海の道 :地中海 → 紅海 → ペルシア湾 → アラビア海 → インド → 東南アジア → 中国
を結び、船による交易がさかんに行われる。
を結び、船による交易がさかんに行われる。
・1世紀 b ギリシア系商人 ※の活動始まる。 → インド洋のc 季節風貿易 を行う。
ローマ帝国の安定に伴い、活動の領域を広げ、南インド・東南アジア・中国沿岸に及ぶ。
ローマ帝国の安定に伴い、活動の領域を広げ、南インド・東南アジア・中国沿岸に及ぶ。
・補足:『エリュトゥラー海案内記』
1世紀ごろのギリシア系商人がインド洋海域で活躍していたことをす耐える文献が『エリュトゥラー海案内記』である。この書はアレクサンドリアを拠点としていたギリシア系商人が、インド洋での交易案内のためにかいたものであるらしく、アフリカ東岸、アラビア半島から南インドにいたる港の様子が記されている。エリュトゥラー海とは紅海のことだが、当時はもっと広い海域を指していたらしい。なお注目されるのは、中国と思われるティーナイという地名が出てくることで、これは西洋文献に現れた中国の記述としてもっとも古いものである。
・d 港市国家 の形成:
中継貿易の中心地であった南インドから東南アジアのe マラッカ海峡 、インドシナ半島南部
などの航海上の要衝に建設される。
・交易品 = f 香辛料 ・g 絹 ・h 茶 ・i 陶磁器 などが盛んに運ばれる。
中継貿易の中心地であった南インドから東南アジアのe マラッカ海峡 、インドシナ半島南部
などの航海上の要衝に建設される。
・交易品 = f 香辛料 ・g 絹 ・h 茶 ・i 陶磁器 などが盛んに運ばれる。
・d 港市国家 の例(南インドと東南アジアのページ参照)
jインドのサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)やセイロン・扶南・チャンパー・シュリーヴィジャヤなど。
jインドのサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)やセイロン・扶南・チャンパー・シュリーヴィジャヤなど。
・補足:その概念
港市国家とは、海岸や河川に面した港を持ち、内陸の物資を集積し、海上を通じての他の諸地域との交易ルートをおさえることによって形成された国家。近代の主権国家のような領土はなく、複数の港市の連合体を構成していることが多い。紀元前後から、特に南インドから東南アジアにおいて、商業活動が活発になったことによって形成された。港市は、商品の集積、積み替え、風待ち、水や食料の補給などの機能を持ち海上交易ルートの要地に生まれていった。港市は通常、河川の河口に作られ、国王が河川を遡った内陸の物資を集積し、海上に交易拠点にネットワークを広げて、交易圏を支配した。このような国家形態は、内陸の国家には見られないものであるので、特に港市国家という概念で説明されている。
東西交流の三つの道
A 草原の道
B オアシスの道(絹の道)
C 海の道
a 洛陽
b 長安
c 北京(燕州)
d 広州
e 張掖
f 敦煌
g 楼蘭
h クチャ
i ホータン
j カシュガル
k タラス
l サマルカンド
m バクトラ
n クテシフォン
o アンティオキア
p コンスタンティノープル
q アレクサンドリア
r カイロ
s アデン
t アチェ
u ローマ
v ヴェネツィア
w ジェノヴァ