印刷 | 通常画面に戻る |

シパーヒー(オスマン帝国)

オスマン帝国のトルコ人騎兵。知行地を与えられ、イエニチェリとともに帝国の軍事力を支えた。

 スィパーヒーとも表記する。オスマン帝国において、スルタンからティマールという知行地(封土)を与えられ、戦時に従軍するトルコ人戦士(騎士)。シパーヒーは騎士として武装し、知行高に応じた数の従士を率いて戦場に赴き、武勲をあげればより広い知行地を与えられる。知行地からの租税徴収権を持つ。すべてのシパーヒーがスルタンに直属し、ヨーロッパの封建制の様なシパーヒー間の主従関係はなかった。またシパーヒーは都市に住み、知行地の農村では自治が認められていた。シパーヒーはオスマン帝国のバルカン半島征服過程で広がったが、バルカンの村々では自治が行われ、非ムスリムのギリシア正教徒、アルメニア教会派やユダヤ教徒の信仰と文化も守られていた。 → イェニチェリ

シパーヒーの弱体化

16世紀に征服が一段落し、戦術も騎兵中心から火砲中心に移行することによって次第に力を失い、かわって農村には租税徴収を代行する現地の有力者(アーヤーンという)が成長し、また軍事力もイェニチェリが常備軍として重要になっていく。なお、シパーヒーはペルシア語で兵士を意味し、19世紀のインドで東インド会社に雇われたインド人兵士を指す言葉としても用いられる(日本ではセポイとも表記した)。 → インドのシパーヒー
印 刷
印刷画面へ