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キジルバシュ

イランのサファヴィー朝で戦力の中心となったトルコ系遊牧民を主体とした騎兵集団。

 1501年からイランを支配したサファヴィー朝の軍事力となった、トルコ系遊牧民(トルクメン人)からなる騎兵集団のこと。キジルバシュ(またはキジルバジ、キズィルバーシュなどとも表記)とは、「赤い頭」を意味し、サファヴィー教団の信者がかぶっていた帽子に由来し、そこから転じて特に信者となったトルコ系遊牧民を指す言葉となった。彼らは独特のシーア派の教義(キジルバジ的シーア主義)を持ち、教団の長をイマームの再来(救世主)と信じて忠誠を誓い、スンナ派と戦うことを使命と考えていた。初期のサファヴィー朝のイスマーイール1世はこのキジルバシュを軍事力として利用して領土を拡張したので、周辺のスンナ派のオスマン帝国、アフガニスタンのシャイバニ朝にとっては大きな脅威となった。
 イスマーイール1世は、西隣のスンナ派オスマン帝国セリム1世に対しても攻勢をかけ、1514年にチャルディランの戦いで対決したが、キジルバシュの騎兵部隊が、オスマン帝国が組織したイェニチェリ軍団の鉄砲隊に敗れ、アナトリアへの進出を阻まれた。

アッバース1世のキジルバジェ抑圧策

 サファヴィー朝の支配が安定してくると、キジルバシュは特権的な保守勢力となり、シャーの中央集権体制の障害となったてきたため、16世紀末のシャー、アッバース1世はその抑圧に努め、あらたに奴隷兵(ゴラームといった)を常備軍として育成し、また地方有力者となったキジルバシュにかえて王の側近をあてるなどの中央集権化を図った。その改革は一時的に成功したが、結局キジルバシュの地方勢力を排除することはできず、その部族的支配はその後も続いた。

Episode 狂信的なキジルバジ的シーア主義

 サファヴィー教団を信仰するトルコ系遊牧民であるキジルバジは独特なシーア派的思想を持っていた。その特徴は、(1)12人のイマームを崇拝し、救世主の到来を信じている。そしてサファヴィー教団の教主こそが救世主であると信じ、それに従って勇敢に戦い、戦死することは殉教となる。(2)スンナ派を異常に憎む。スンナ派指導者の墓や遺体を暴き冒涜を加えることこともあった。(3)呪術的な儀式をもつ。生きたままの人間を食べること、戦いで打ち破った的の首領の髑髏で勝利の酒を飲むことなどが行われたという。これらのうち、(3)は明らかにイスラーム教に反することで、匈奴以来の遊牧民の原始的な伝統であろう。<『パクス・イスラミカの世紀』新書イスラームの世界史2 講談社現代新書 1993 p.74 羽田正執筆分>
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