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タージ=マハル

シャー=ジャハーンが愛妃の墓廟としてアグラに建造した、インド=イスラーム文化を代表する建築物。

タージ=マハル
タージ=マハル
 17世紀の前半、ムガル帝国第5代のシャー=ジャハーンが、妃のムムターズ=マハルの墓廟として首都アグラに建築した。白大理石を用い、ドームを中心に、4本のミナレットが絶妙のバランスで配置され、周囲には清冽な池が設けられている。この建物は、世界で最も美しい建造物ともいわれ、1983年、世界遺産に登録されている、インド=イスラーム文化を代表する建築である。
 ムムターズ=マハルはシャー=ジャハーンの妃の一人であったが最も愛され、18年間に14人の子供をもうけ、37歳で産褥熱のために死んだ。シャー=ジャハーンはその死を深く悲しみ、この墓廟を18年ほどの年月をかけて造ったという。
  → UNESCO 世界遺産センター タ-ジ・マハル

Episode シャー=ジャハーンの悲劇

 シャー=ジャハーンの晩年は不幸であった。愛妃ムムターズ=マハルとの間に何人もの子供をもうけたが、その子どもたちでは成人した長男のダーラー=シコー、次男のシャー=シュジャー、それに三男のアウラングゼーブの三人が激しく帝位を巡って争った。その中で最も狡猾に立ち回ったのがアウラングゼーブであった。シャー=ジャハーン自身は病の床にあったが、アウラングゼーブは兄二人を巧妙に排除し、自分を支持しなかった父をアグラ城に幽閉してしまった。シャー=ジャハーンはアグラ城の幽閉された部屋から、タージ=マハルを遠望しながら失意の晩年を過ごしたという。<『ムガル帝国から英領インドへ』中央公論社新版世界の歴史14 p.147>
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