ブランデンブルク選帝侯国
神聖ローマ帝国の辺境伯から始まり、16世紀からホーエンツォレルン家が新教に改宗、17世紀にプロイセン公国と同君連合となった。ベルリンはその都として1470年に建設された。
ブランデンブルクはエルベ川とオーデル川に挟まれた地域で、現在はその中心にベルリンがある。もともとゲルマン系の部族が住み、フランク王国の辺境であったところに、1134年、神聖ローマ皇帝ロタール3世からアスカニア家のアルブレヒト(熊伯)がブランデンブルク辺境伯として封じられた。その後、ヴィッテルスバッハ家やルクセンブルク家がブランデンブルク辺境伯位を継承したが、その間、神聖ローマ帝国を構成する有力諸侯として、1356年に金印勅書によって選帝侯のひとりとなった。 → 中世のドイツ
ホーエンツォレルン家
1415年からホーエンツォレルン家が継承し、1470年にはベルリンに宮廷を置いた。ベルリンが大都市となって後に発展する基礎が築かれた。特筆すべきことは、1539年にはルター派の信仰を取り入れ、新教派の有力な領邦(ラント)となったことである。プロイセン公国との一体化
1618年にブランデンブルク選帝侯ヨハン=ジギスムントがプロイセン公国の公位を兼ねることとなり、両国はブランデンブルク=プロイセンとして同君連合となった。その年に勃発した三十年戦争では新教側諸侯として戦い、国土は戦場となって荒廃したが、その講和条約ウェストファリア条約では東ポンメルン(現在のポーランド北部)を領有が認められて大国化に向かい、1701年にプロイセン王国が成立すると、ブランデンブルクはその一つの州となった。