議会派
ピューリタン革命で、議会を拠り所に国王の専制政治反対した勢力。その多くはプロテスタントの長老派とピューリタンが多かった。
17世紀初めイギリスで、国王チャールズ1世の絶対王政、国教会強制に反発した議会の反王党派をいう。彼らの多くは、ピューリタンや長老派で、国教会の信仰やカトリック的な儀式を強制されることに反発し、1642年に議会派と王党派の内戦に突入、ピューリタン革命が始まったが、その中心となったのは、新興勢力であるジェントリを中核とし、進歩的な貴族とヨーマン(独立自営農民)、手工業者たちであった。また信仰の上ではピューリタンが多かった。また地域的には商工業の発達したロンドンを中心にイングランドの東南部にを基盤としていた。
しかし、ピューリタンであるクロムウェルを中心として共和政の実現をかかげる急進的な独立派が台頭すると、議会派内の穏健な立憲君主政を志向する長老派との違いが明確となり、次第にその両者は対立するようになった。
しかし、ピューリタンであるクロムウェルを中心として共和政の実現をかかげる急進的な独立派が台頭すると、議会派内の穏健な立憲君主政を志向する長老派との違いが明確となり、次第にその両者は対立するようになった。
Episode 円頂党と騎士党
ピューリタン革命の時、議会派のあだ名を円頂党(ラウンドヘッド)と言うのは、かれらの中で多かった手工業者、職人などが髪を短くしていたことから、髪を伸ばした貴族の多かった王党派の連中が「髪の毛を伸ばすことも出来ない下賤なやつら」という意味でさげすんだいいかたであった。それに対して議会派は王党派のことを騎士党(キャヴァリア)と呼んだが、これも貴婦人を相手にしているやさ男という意味で蔑称であった。