ウィリアム王戦争
アメリカ大陸での英仏の植民地戦争(1689~97年)でヨーロッパでのファルツ戦争と並行して起こった。この後、19世紀初頭まで英仏の第2次百年戦争が続く。
フランスのルイ14世は南ネーデルラント継承戦争・オランダ侵略戦争に続いて、オランダに隣接する神聖ローマ帝国内のファルツ選帝侯の相続に介入し、1688年に侵略を開始した。それに対してオランダのウィレム3世は名誉革命でイギリス王を兼ねてウィリアム3世となり、オランダ・イギリス・神聖ローマ皇帝・スウェーデンなどを結集して反フランスのアウクスブルク同盟を結成して戦った。これがファルツ戦争/アウクスブルク同盟戦争である。
戦争の大きな要因には、インディアンがどちらに帰属するかという問題もあり、ここではイギリス人入植者の圧迫に反発したインディアンが、フランスを支援してイギリスと戦うという事態が生まれた。しかも、イギリス植民地には名誉革命とウィリアム王を支持する勢力と、前のジェームズ2世を支持する勢力の対立もあって戦局は複雑に推移し、また双方とも本国からの支援が十分でなく、戦闘の決着はなかなかつかった。ようやく、ヨーロッパ本国でファルツ戦争の終結と共にこちらも戦闘を終え、1697年にライスワイク条約で講和した。
この戦争はこれから19世紀初頭まで続く英仏植民地戦争である第2次百年戦争の最初の戦いであり、しかも第1次と異なり、ヨーロッパ本土での戦争と植民地戦争が連動した「世界戦争」であることに注意しよう。
ファルツ戦争に連動
このフランスとイギリスの戦争が、北アメリカ大陸の両国の植民地に飛び火したものがウィリアム王戦争である。翌1689年、カナダのフランス軍がアメリカ領のニューイングランドを攻撃、またイギリス現地軍もカナダのケベックなどに反撃して戦争が始まった。戦争の大きな要因には、インディアンがどちらに帰属するかという問題もあり、ここではイギリス人入植者の圧迫に反発したインディアンが、フランスを支援してイギリスと戦うという事態が生まれた。しかも、イギリス植民地には名誉革命とウィリアム王を支持する勢力と、前のジェームズ2世を支持する勢力の対立もあって戦局は複雑に推移し、また双方とも本国からの支援が十分でなく、戦闘の決着はなかなかつかった。ようやく、ヨーロッパ本国でファルツ戦争の終結と共にこちらも戦闘を終え、1697年にライスワイク条約で講和した。
この戦争はこれから19世紀初頭まで続く英仏植民地戦争である第2次百年戦争の最初の戦いであり、しかも第1次と異なり、ヨーロッパ本土での戦争と植民地戦争が連動した「世界戦争」であることに注意しよう。