星条旗/アメリカ合衆国国旗
独立時にアメリカ合衆国の国旗として制定された。州を表す★と、独立時の13州を表す横線から構成される。
アメリカ国旗「星条旗」
アメリカ合衆国の最初の星条旗
この星条旗は13植民地が独立を達成して合衆国を構成した、original satates を示す13の★と、13条の赤と白の横線とで構成されていた。★と横線は順次加盟州が加わるごとに増やすことになっていたが、縞模様は増やすことが難しくなったので、1818年に独立当時の13本にもどし、州が増えると翌年の独立記念日7月4日に★だけを一つ増やすという法律が制定された。
1959年、ハワイが50番目の州となったので、50の★を付けた現在の国旗が、1960年の7月4日独立記念日に、ボルティモアのマックヘンリー要塞博物館で初めて公式に掲揚された。
Episode 星条旗の「つくられた伝説」
現在のアメリカ国民は、星条旗はベッツィ・ロスが考案したと信ている。実はこれは、つくられた伝説だった。1870年、ベッツィの孫にあたるヴィリアム・キャンビーは、フィラデルフィアにあるペンシルヴェニア歴史協会での講演で、彼が12歳のとき、当時84歳だったベッツィから、最初のアメリカ国旗をデザインしたという話しを直接聞いたと述べた。1876年にフィラデルフィアで独立百周年記念式典が開催されることになっていたので、当局が観光客集めのためにこの話を鵜呑みにして広めた。しかし、どうもこの話は怪しいと研究者は見ており、「つくられた伝説」であるようだ。状況証拠から判断すると、最初に星条旗をデザインを考案したのは、ニュージャージー植民地の政治家フランシス・ホプキンソンの可能性が高い。<杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社文庫 p.55-57>星条旗の神聖化
アメリカ合衆国の現在の星条旗
星条旗裁判
アメリカ合衆国憲法では信教・言論の自由は保障されており、それを根拠に、国旗・国歌に関する法廷闘争が行われてきた。1940年に「エホバの証人」信徒が学校での国旗への敬礼を拒否して退学となったことを不当だとして起こされた裁判では、最高裁は学校側の言い分を聞いて退学処分は正当と判決された。それに対する反対論は多く、わずか3年後には、ウェストヴァージニア州で信仰上の理由から国旗への敬礼を拒否したバーネット家の子どもたちが公立学校を退学させられたことで親が訴えた裁判では、最高裁は憲法修正第1条の信教の自由を根拠としてバーネット氏勝訴の判決を出した。これ以降、公立学校で国旗への敬礼や国歌への忠誠宣誓を法的に強制することは違憲とされ、現在に至っている。国旗を焼却することが合憲かどうかも争点となっている。1984年、レーガン大統領の政策を批判したテキサス州の過激派グループは国旗を燃やしたためテキサス州法違反として訴追された。これに対して最高裁は憲法に保障された言論の自由を根拠にテキサス州法を違憲との判決を出した。しかし、議会は世論の最高裁判決への反発を利用して、1989年に「国旗保護法」を連邦法として制定した。ところがその後も国旗焼却事件は続き、1990年に最高裁は国旗保護法に違憲の判決を下した。つまり、星条旗を踏んづけたり焼いたりしても罰せられることはない、ということになったのである。2001年11月の同時多発テロはナショナリズムの高揚をもたらし、国旗がはためくようになった。「アメリカでは、多種多様な国民を一つにまとめあげていくという課題と、憲法で保障された信教・言論の自由とのせめぎ合いが歴史的に繰り返され、今後も継続していくことが予想される。」<杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社文庫 p.62>