大陸会議
1774年9月に開催されたアメリカ植民地代表者の会議。合衆国成立までの実質的な中央政府となった。1781年からは連合会議となる。
第1回大陸会議
Continental Congress イギリスの強圧的諸条令に対してアメリカ植民地の12の代表(13植民地の中のジョージアをのぞく)が、1774年9月、フィラデルフィアに集まって開催され、その後、独立革命の最高の連絡会議となったもの。3分の1は反英感情が強く、独立を求める愛国派(パトリオット)、3分の1はイギリス王室への忠誠心が強く、独立には反対している国王派(ロイヤリスト)、残りが中間派という構成であり、最初から独立を志向したわけではなかった。しかし愛国派の主張によって「宣言と決議」で植民地に対するイギリスの議会の立法権の全面的否定と、イギリスとの不輸入、不輸出、不消費を守るための「大陸通商断絶同盟」結成を宣言した。参加者の中にはヴァージニアのジョージ=ワシントンとパトリック=ヘンリ、マサチューセッツのサミュエル=アダムズ、ジョン=アダムスなどがいた。
大陸会議の意義
(引用)第一回大陸会議で採択された「宣言と決議」は、前文で明記されたように「北アメリカでのイギリス植民の住民」の宣言と決議であり、独立をうたったものではない。それにもかかわらず、「宣言と決議」は植民地に対するイギリス議会の立法権を全面的に否定し、あわせて「不輸入、不輸出、不消費」同盟、つまり大陸通商断絶同盟(コンチネンタル・アソシエイション)として知られる大経済同盟の結成を宣言した。<今津晃『アメリカ大陸の明暗』世界の歴史14 河出書房 p.154>第一回大陸会議で1774年10月に、12植民地(後にジョージアが加わり13となる)で、アソシエイション(同盟)を結成し、はじめて集合体(union)となったことは、アメリカ独立の重要な1ステップであった。翌年4月の独立戦争の開始、5月の第2回大陸会議を経て、1776年の独立宣言へと進んでいくこととなる。
第2回大陸会議
1775年4月に本国軍と植民地民兵が武力衝突し、アメリカ独立戦争が始まったことを受けて、1775年5月10日、フィラデルフィアで第2回大陸会議が開催され、13植民地の代表は、「武力抵抗の理由と必要の宣言」を採択、アメリカ連合軍を創設し、ワシントンを総司令官に任命した。独立宣言を採択 さらに、ワシントン軍はボストンに向かい、ヨーロッパ諸国と外交関係を結ぶために外交使節の派遣と戦争遂行に必要な紙幣の発行を決めた。7月、フランクリン(ペンシルヴァニア代表)が「連合の規約と永久の連合」案を作成した。次いで1776年に、ジェファソンが起草した独立宣言を採択した。
アメリカ合衆国の成立 独立を宣言したものの、当初は中央政府は無かったので、大陸会議が中央政府の役割を担った。1777年には最高規定としてアメリカ連合規約を制定し、各州の批准を経て1781年にそれが施行されてアメリカ合衆国が成立してからは、「連合会議」と呼ばれるようになる。