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フィニアン

19世紀後半からアイルランド独立運動を進めた秘密組織。1867年に蜂起に失敗し弾圧されたが、その後身が1916年にはイースター蜂起を起こした。

 19世紀のアイルランド問題の中で生まれた、イギリスからの独立と共和政治の実現を目標に結成された秘密組織で、フェニアンとも表記。フィニアン運動とも言う。フィニアン(フェニアン)とは古代アイルランド神話の戦士団フィアンナ(フィアナ)に由来する名称で「フィアンナの戦士団」を意味する。正式には、アイルランド共和主義者同盟(Irish Republican Brotherhood、略称IRB)といい、共和政の実施、つまり王政を廃止を主張した急進的なグループなので、秘密結社として活動した。

アメリカとアイルランドで同時に組織

 その中心となったのは、1848年の青年アイルランド党の蜂起に加わって失敗し、アメリカに亡命したジェイムズ=スティーヴンズなどが中心となって1858年にニューヨークとダブリンで同時に結成された。アメリカにはジャガイモ飢饉によって多くのアイルランド人が移民となって来ており、アメリカにもフィニアン会員が生まれた。1860年代にはアメリカン=フィニアンは数百万人の熱烈なシンパを集め、5万人の軍勢を集めてた。彼らの多くは南北戦争に従軍した。1865年にアメリカの南北戦争が終わると、実戦を経験したアイルランド系アメリカ人が加わり、軍事指導に当たった。1866年にはイギリス植民地のカナダに侵攻する事件を起こしたが、その時掲げた旗にはケルト民族のシンボルカラーである緑色の地にアイルランドの象徴である「黄金の琴」が描かれ、そこにIRAの文字が見られた。これがIRAと言う名称が現れた最初の例であるという。<鈴木良平『アイルランド問題とは何か』2000 丸善ライブラリー p.56>

フィニアンの蜂起

 1867年、カナダで自治権獲得の動きが始まると、アイルランドでそれに呼応して蜂起を計画したが、事前に察知したイギリス当局によって全員逮捕され、失敗した。蜂起には失敗したが、翌1868年に成立したイギリスのグラッドストン自由党内閣がアイルランド問題の解決に乗り出す一因となった。フィニアンの名はアイルランド民族主義(ナショナリズム)の象徴となった。20世紀に入り、1914年にダブリンでイースター蜂起に起ち上がったのもこのIRBの後身のグループであった。
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書籍案内

鈴木良平
『アイルランド問題とは何か』
2000 丸善ライブラリー