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フロリダ

16世紀スペインが占領、1763年にイギリス領、1783年に再びスペイン領となり、1819年、アメリカ合衆国が買収し、1845年に州となる。

フロリダ GoogleMap

北米大陸東南のメキシコ湾に突き出し、キューバ島に対面する大きなフロリダ半島を中心とした一帯。ほとんどが平地で森林と沼地が拡がり、一年を通して温暖である。現在は、マイアイビーチ、タンパベイなど海岸の保養地や、ケネディ宇宙センターで有名なケープカナベラルなどがある。しかし、19世紀までは広大な湿地を背景にしたインディアンの抵抗が続き、アメリカ人の入植は少なかった。1950年代から開発ブームが始まり、別荘地、リゾート地として脚光を浴びるようになり、人口が急増した。

スペイン人の探検

 1513年、ポンセ=デ=レオンがキューバからフロリダ半島の海岸を探検、太平洋に抜けるルートを探したが失敗した。ついで何人かのスペイン人が上陸、入植を試みた後、1539年、フロリダ総督の勅任状を得たエルナンド=デ=ソト(ピサロの部下)が600名を率いて上陸、フロリダ半島からミシシッピ下流域を踏査しインディアンとの接触を持つようになった。デ=ソトは途中で熱病に罹り、ミシシッピ川で水葬にされ、300人に減った残りの部隊は4年にわたる探索を続けた。<ペンローズ『大航海時代』荒尾克己訳 筑摩書房 p.177-180>

西欧諸国による支配

 16世紀のスペイン人が占拠して領土として以来、スペイン領であったが、七年戦争(アメリカ大陸ではフレンチ=インディアン戦争)でフランスと結んで戦ったスペインがイギリスに敗れたため、1763年のパリ条約イギリスに譲渡された。間もなく始まったアメリカ独立戦争ではスペインがアメリカ合衆国の独立を助けたため、1783年のパリ条約と並んで締結されたヴェルサイユ平和条約で、ミノルカ島とともにスペインに返還された。

アメリカの州となる

 独立後のアメリカ合衆国では南部のプランテーション農園での綿花栽培が拡大し、その南にあるフロリダへの領土拡大が叫ばれるようになった。1812年のアメリカ=イギリス戦争で活躍したジャクソン将軍(後の大統領)の率いるアメリカ軍は1817~18年の第1次セミノール戦争でセミノール=インディアンを制圧した。しかしインディアンは湿地に逃れて抵抗を続けた。フロリダ併合の要求が強まったことをうけて、1819年、モンロー大統領の時、スペインからアメリカ合衆国が500万ドルで買収した。その後フロリダは1845年、合衆国27番目の州となりった。 → アメリカの領土拡大

アメリカが敗れた戦争

オセオーラ
セミノールインディアンの指導者 オセオーラ
W.ハートレー、E.ハートレー/鈴木主税訳『征服されざる人びと 酋長オセオーラとセミノールインディアン』1975 現代史出版会 より
 1819年、フロリダを領有したアメリカ政府はインディアンのセミノール族を説得して条約を締結、フロリダ半島北西部に設けた居住地に集合させ、年金の支払いと保留地での生活を保障した。しかし、南部の綿花プランテーションを逃亡した黒人奴隷がセミノール族の奴隷となったり、その保護を受けるようになると、アメリカ政府は黒人奴隷の奪還をめざし、セミノール族を排除しようとした。
 ジャクソン大統領は1830年、インディアン強制移住法を制定し、セミノール族のミシシッピ以西の保留地への移住を強制した。これは先の条約に対する違反であったので、セミノール族は強く反撥した。セミノール族はオセオーラという有能な指導者によって組織され、一斉に反撃に出、アメリカ軍の砦や白人の農場を襲撃し、1835~1840年の第2次セミノール戦争を戦った。アメリカ政府はたびたび現地司令官を入れ替え、セミノール族の制圧をはかったが、オセオーラの巧みなゲリラ戦に悩まされ続けた。ようやくオセオーラを奸計によって捕らえたが、その後も抵抗が続き、完全な制圧はできなかった。この戦争は、セミノール族のもとに逃れた黒人奴隷の、白人に対する戦いであった点も重要である。戦争が長引く中、一部にはアメリカ政府に買収されて移住を受け容れた人びともいたが、多くはなおもジャングルで抵抗を続け、フロリダ半島南部に逃れていった。結局アメリカ政府はセミノール族すべてを移住させることに失敗、フロリダの一部を居留地とすることを認めざるを得なかった。セミノール族は戦後も白人との接触を拒否しながら存続したが、次第に融和が進み、生活も白人と同じようになった。それでも現在もなお、セミノール社会はフロリダに残っている。
 この2次セミノール戦争は、優れた装備と組織をもつアメリカ軍が、粗末な兵器とゲリラ戦で抵抗した土着民と戦って敗れた戦いとして、1960年代のベトナム戦争と似ているところがあると指摘されている。またこの戦いを指導したオセオーラについても、白人側の資料によってではあるが、その卓越した指導力と、インディアンとして誇りを持って生きた生涯が注目されている。<W.ハートレー、E.ハートレー/鈴木主税訳『征服されざる人びと 酋長オセオーラとセミノールインディアン』1975 現代史出版会>

Episode フロリダの不動産ブーム

 アメリカ合衆国の1920年代の繁栄の時期に、フロリダで不動産ブームが起きた。好景気の高まりの中で株式投資と並んで不動産投資が盛んになったが、特に一年を通して温暖なフロリダは別荘やリタイア後の住まいとして大々的に宣伝され、急速に開発が進んだ。1920年には3万にすぎなかった人口が25年には7万5千に増加した。その背景には東部の都市から車で移動できるようになったことがあげられる。フロリダ・ブームは25年にピークとなり、人びとは熱帯での優雅なバカンスにあこがれて土地を買い、マイアミなどの都市にはいくつものホテルが立ち並んだ。しかし、1926年秋、大型ハリケーンがフロリダを襲い、急開発の粗雑な別荘地は見るかげもなく荒れ果ててしまい、ブームはあっけなく終わった。<F.L.アレン『オンリー・イエスタディ 1920年代・アメリカ』1993 ちくま文庫 p.357-374>

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W.ハートレー、E.ハートレー
鈴木主税訳
『征服されざる人びと―酋長オセオーラとセミノール・インディアン』
1975年 現代史出版会

F.L.アレン
藤久ミネ訳
『オンリー・イエスタディ
1920年代・アメリカ』
1993 ちくま文庫