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モンロー

アメリカ合衆国第5代大統領。1823年、モンロー教書を発表、アメリカ外交の基本姿勢を示す。

モンロー

James Monroe 1758-1831
The Presidents of the United States of America

 アメリカ合衆国の第5代大統領。在職1817~25年。モンローはヴァージニア出身で大陸会議以来の独立革命に参加した建国第一世代に属する人物であった。ジェファソン大統領の下で駐仏大使としてルイジアナを購入に当たる。以後、リパブリカン党を継承した民主共和党(のちの民主党)に属する。アメリカ=イギリス戦争時には国務長官。

モンロー教書

 1817年第5代大統領に就任し、2期(1817-25)務めた。当時、ヨーロッパ大陸ではウィーン体制の時代にあたり、復活したオーストリア、プロイセン、ロシアなど神聖同盟に加盟する旧勢力が、スペインの弱体化に伴って顕著になってきたラテンアメリカの独立への干渉を強めていた。モンロー大統領は、1823年1月に年頭教書の形でモンロー教書を発表して、アメリカとヨーロッパ諸国の相互不干渉の原則を打ち出すとともに、合衆国の南北アメリカ大陸への支配権の維持を図った。その他、1819年にはフロリダ買収、ミズーリ協定の制定などに当たった。

Episode 建国第一世代の偶然

 モンローは若くしてアメリカ独立戦争に参加、大陸会議が1776年7月4日に独立宣言を出したものの、戦闘は苦戦が続いていた。退却が続く中で同年クリスマスの夜、大陸軍は凍てつくデラウェア川を渡ってドイツ人傭兵部隊を急襲し、貴重な勝利を挙げることが出来た。18歳のモンローはその戦いに参加しており、負傷している。彼は独立戦争に参加した人物として最後の大統領となったが、同時に、歴代5代の大統領のうち、初代ワシントンや第3代ジェファソン、4代マディソンにつぐヴァージニア出身の大統領だった。2代アダムズを除くこの建国初期の政権を「ヴァージニア王朝」と呼ぶこともある。彼らはいずれも奴隷制大プランテーションの経営者であり、モンローもまた同じであった。
 彼は建国の第一世代の最後の大統領となったが、彼が死去したのは1831年、つまり建国55周年の7月4日だった。偶然はそれだけではなかった。第2代アダムスと第3代ジェファソンは、独立宣言50周年の1826年の7月4日にともに鬼籍に入っている。二人の「建国の父」が同日に亡くなったことに当時人々は驚愕し、12億~17億に一つの確率だと計算した人もいた。さらにそれにモンローの死が重なり、「7月4日」のアメリカ建国記念日は一層神聖視されることになった。<和田光弘『植民地から建国へ』シリーズ・アメリカ合衆国史① 2019 岩波新書 p.xii,124>