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カリフォルニア

アメリカ=メキシコ戦争の結果、1848年にアメリカ領となった。同年、金鉱が発見されており、アメリカの西漸運動が太平洋に及び、人口が急増し1850年に自由州として州となった。

 1846~48年のアメリカ=メキシコ戦争の結果、1848年2月に締結された、グァダルーペ・イダルゴ条約でアメリカ合衆国メキシコから太平洋岸の広大なカリフォルニア地方を奪い、併合した。

金鉱の発見と西漸運動

 このアメリカの領土拡大で得られたカリフォルニアでは、すでに同じ1848年の1月24日に金鉱が発見されていた。
 そのカリフォルニアがアメリカ領となったことによって、ゴールド=ラッシュが起こって多数の人々が移入した。これは、アメリカ合衆国の領土が西方にに拡張していくという西漸運動が最終段階に入り、フロンティアが太平洋岸に達することを意味していた。 → 1848年革命
 カリフォルニアは1850年に西部最初の州に昇格し、アメリカ合衆国の領土が正式に太平洋岸に達することとなった。現在カリフォルニア州は、ロサンジェルスやサンフランシスコなどの大都市を擁し、シリコンバレーなどの最先端工業地帯や映画産業の中心地ハリウッドなどを含んでアメリカ最大の人口を有する州として繁栄している。

奴隷制問題

 カリフォルニアにおいて人口が急増し、州への昇格が予定されたが、この新州を奴隷州にするか自由州にするかで南北の意見が激しく対立した。1820年のミズーリ協定で奴隷州と自由州の境界とされた北緯36度30分はカリフォルニアの真ん中を通っていたからである。結局1850年9月に自由州として連邦に加盟したが、南部が不満を持ったため、政府は南部からの奴隷の逃亡を防止する逃亡奴隷法を制定してその不満を和らげた(1850年の妥協)。

Episode カリフォルニアの発見の「物語」

 カリフォルニアという名前は中世ヨーロッパの騎士物語のなかのアマゾンの女戦士の中に出てくる地名だった。1510年に出された“セルガス・デ・エスプランディアン”という騎士道物語では、アマゾンの女王カラフィアはカリフォルニアと呼ばれる断崖絶壁に囲まれた島に女勇者たちといっしょに住んでいたが、ペルシア王アルマートがコンスタンティノープルを攻撃するとき、彼女も部下を率いて参加した。アマゾンたちはグリフォンという怪獣(鷲の頭と翼を持ち胴体が獅子)を引き連れてキリスト教徒と戦い、相手を散々悩ましたが、エスプランディアンに打ち負かされキリスト教に改宗する。かくて強力な女戦士を失ったトルコ軍は敗れコンスタンティノープルは救われた、と言う物語で、カリフォルニアはインディアスのどこかにあると設定されていた。この物語が広く知られ、新大陸に渡った征服者たちもアマゾンの住むカリフォルニアを捜し出そうと試みた。1521年にメキシコを征服したコルテスも、部下をメキシコ西部探検に派遣し、その時発見されたメキシコ西部にある土地(初めは島か半島か判らなかった)がいつのまにかカリフォルニアと呼ばれるようになった。1542年に北米西岸を探検したのロドリゲス・カブリリョの日誌にはすでにカリフォルニアの名が現れている。<増田義郎『新世界のユートピア』1971 中公文庫版 p.79-80>
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