印刷 | 通常画面に戻る |

ゲティスバーグの戦い/ゲティスバーグ演説

1863年7月の南北戦争での最大の戦闘となった戦い。リンカンの有名な演説が行われた場所としても知られる。

 南北戦争が長期化する中、1863年7月1日~3日、ペンシルヴェニア州ゲティスバークで、北軍と南軍が激突、北軍が勝利して戦局を逆転させた。両軍の戦闘員16万3千人、その4分の1が死傷したとされる。

ゲティスバークの戦い

 北軍が南下して南軍の拠点リッチモンドを攻撃したが落とすことができず、苦戦に陥った。1862年8月、南軍のリー将軍は6万の大軍によりメリーランドに侵攻、北軍のマックレラン将軍がアンティータムで辛うじてくいとめた。そのような南軍優勢の情勢を転換させたのが、ゲティスバーグの戦いだった。リー将軍は7万5千の兵力でペンシルヴェニアに攻め込み、それをゲティスバーグで北軍のジョージ・ミード将軍が8万8千の兵力をもって迎え撃った。
 3日間の激戦で南軍を撃退し、それによって北軍は南部への侵攻ルートを確保することができた。南北戦争での最大の戦闘となったばかりでなく、その帰趨を決する一戦となった。

リンカンのゲティスバーク演説

 その戦いの4ヶ月後の1863年11月19日に行われた戦没者墓地奉献式で、アメリカ合衆国大統領リンカンが演説を行った。それはこの戦いでの戦没者を悼み、建国以来のアメリカ合衆国のなかでのこの勝利の意義を述べたもので、その中の一節、「人民の、人民による、人民のための政治」は民主政治の本質を端的に語るものとして人口に膾炙している。

資料 ゲティスバーグ演説 Gettysburg Address

 1863年11月19日、ペンシルヴェニア州ゲティスバーグにおける国有墓地の献納式に際しての演説の冒頭と末尾の部分を読んでおこう。※注
(引用)87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた、新しい国家を、この大陸に打ち建てました。
 現在(いま)われわれは一大国内戦争のさなかにあり、これによりこの国家が、あるいはまた、このような精神にはぐくまれ、このように献げられたあらゆる国家が、永続できるか否かの試練を受けているわけであります。われわれはこの戦争の一大激戦の地で相い会しています。われわれはこの国家が永らえるようにと、ここでその生命を投げ出した人々の、最後の安息の場所として、この戦場の一部を献げるために来たのであります。われわれがこのことをするのはまことに適切であり適当であります。(中略)
 われわれがここで述べることに、世界はさして注意を払わないでありましょう、また永く記憶することもないでしょう。しかし彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。ここで戦った人々が、これまでかくも立派(ノーブリー)にすすめて来た未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ生きているわれわれ自身であります。(中略)
 それは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽くして身命を捧げた、偉大な主義(コーズ)に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれが一層の献身を決意するため、これらの戦死者の死を無駄に終わらしめないように、われらがここで堅く決心するため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。<高木八尺・斉藤光訳『リンカーン演説集』1957 岩波文庫 p.148>
 この式典での演説の主役は当時のアメリカで最大の弁論家として知られたエドワード=エヴェレットで、その演説は二時間にわたる堂々としたものだった。その後で大統領の一言の挨拶としてのべられたのがこのリンカンの演説だった。むしろそれは沈痛な低声の短い演説だったので、それを聞いた人はだれもがこれが不朽の文言になるとは夢にも及ばなかっただろうという。教科書でのリンカンの演説の挿絵のイメージとだいぶちがいます。<『同上書』 p.178 高木八尺の解説>

参考 ゲティスバーグ演説の問題点

 1863年11月19日のリンカン大統領による「ゲティスバーグ演説」 Gettysburg Address には史料的な問題と、それを日本語に翻訳する場合の問題がある。演説は簡単なもので約270語に過ぎないが、自筆の原稿そのものはなく、そのコピーといわれるもの5種類あり(当時のコピーは筆写だったので)、それぞれ文の構成や用語が微妙に異なっている。一般には唯一本人の署名のあるブリス・コピーが基準とされている。
 その内容は当日のリンカンの体調も悪かったこともあったからか、簡潔であるが、それだけ解釈が難しい文章になっている。それよりも日本語訳の際に訳者によって意味を取り違えている場合もあり、注意を要するという。「人民の、人民による、人民のための政治」という、日本語訳についても単純に鵜呑みにすることはできないようだ。
 ここでは高木八尺・斉藤光訳を用いたが、現在のアメリカ合衆国が公式に認めているブリス・コピーの英語原文と日本語訳は American Center Japan の国務省出版物のページ、5つのコピー英語原文は、Abraham Lincoln Online などで見ることができる。

※ Liverty の意味の検討など

 さて、全文にわたっての検討は当サイト世話人の語学力では不可能であるので、この用語集の記載の誤りを最近ご指摘していただいた小林宏氏の著書「The Gettysburg Addressを読む」(Amazon Kindle版)より、ごく一部を抜粋して紹介します。以下、「」は前掲高木・斎藤訳の部分。
  • 「自由の精神にはぐくまれ」 原文は conceived in Liberty :conceived の意味は受精卵が着床したことなので「はぐくまれ」とするのはよいとしても、in Libety を「自由」とか「自由の精神」と訳すのは誤り。これは1776年7月4日のアメリカ独立宣言で誕生した a new nation に先立ち、1774年10月20日に成立した12植民地(12 colonies。後にジョージアが加わり13になる)代表による大陸会議が the Associationという協定の締結をしたことを指している。つまりこれは大文字のLで書かれているからわかるように固有名詞であり、13植民地の集積体(union)を意味する。当時のアメリカではそれで意味が通じたのだ。それを知らずに抽象的な「自由」、ましてや全く意味の含まれていない「自由の精神」などとするのは誤訳に過ぎない。(また小林氏は、liverty と freedom はリンカン演説でも使い分けられているとし、日本語では「自由」と訳されるこの二語が決して同意味ではないことを詳しく論じているがここでは省略します。)
  • 「人民の、人民による、人民のための、政治」原文は government of the people, by the people, for the people :あまりにも常識化して定着してしまった観があるが、まず government を「政治」と訳すのは正しいだろうか。政治ならなぜ、politics の語が使われていないのか。そこで government の語を検討すると原義から訳せば(国家の)「運営制度」という語がふさわしい。とすれば of the people は「人民の政治」というより人民が国家の運営制度をもつこと、つまり主権者であることをいい、 by the people は人民が運営制度を推進し(立法・司法にもかかわること)、 for the people は運営制度のあるべき姿をのべていると解することができる。
以上は私見を加えた小林氏説の一部の要約です。なお小林氏の著作では、関連して、リンカンの演説が行われた場 National Cemetery を「国有墓地」とするのも誤りであると指摘している。墓地の名称は National であるが、これを「国有」(国立)と訳すのは日本人の早とちりで、英語(米語)では National = 国有 ではない(その誤解の例は多い)。ここでは、ゲティスバークで戦死した、一つの州ではなく広範囲な州の出身者を埋葬した墓地という意味である、という。小林説をすべて紹介できないので、関心があれば同氏の著作に当たって下さい。<小林宏『The Gettysburg Addressを読む」』2020 Amazon Kindle版>