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海底電信ケーブル

1851年のドーヴァー海峡が最初。大西洋には1858年にいったん開通したが中断し、1866年に再び成功した。その後、日米間の太平洋など、世界中の海洋に敷設され、通信網が整備された。

 電線を通じて通信する技術は、1831年にファラデーが電磁誘導の原理を発見したことから始まり、1838年にはモールスが電気信号を使う電信機を造り1844年にワシントンからボルティモアまで通信に成功したことから実用化が開始された。19世紀後半までにイギリスは世界の海底ケーブル通信網を設置した。

大西洋に海底電信ケーブル敷設

 海底電信ケーブルで離れた陸地間を結ぼうというこころみは、ゴムを絶縁体にすることで可能となり、1851年のイギリス・フランス間のドーヴァー海峡に敷設されたことから始まった。続いて、ヨーロッパとアメリカ大陸を隔てる大西洋に電信ケーブルを敷設する計画が、ニューヨークの若い実業家サイラス=W=フィールドという人物によって始められた。1857年に事業は開始され、何度かの失敗の後、1858年7月28日、大西洋上で両側から引かれてきたケーブルをつなぎ、敷設に成功した。翌月にはヴィクトリア女王からのメッセージが電信でアメリカに届き、アメリカ中が沸き返り、フィールドは一躍時の人となった。しかしまもなく電信は途絶えてしまった。全く面目を無くしたフィールドだったが、数年の沈黙の後、大型の敷設用の船を建設して再びケーブルの敷設に乗り出し、1866年に成功させた。<ツヴァイク『歴史の決定的瞬間』「大洋をわたった最初の言葉」に詳しい。>
 英仏海峡に最初の海底通信ケーブルが敷設された1851年はロンドン万国博覧会が開催され、トマス=クックが旅行社を創設し、ロイターがロンドンにロイター通信を創業した年であり、イギリスのヴィクトリア朝の近代文明が世界をリードした年であった。 → 万国電信連合

イギリスの海底ケーブル網、世界制覇

 イギリスは1902年ごろまでに、世界のほとんどの地域との間に海底ケーブルを設置し、世界電信網を作り上げた。当時の電信網はほとんどがイギリスのものであり、残りわずかがアメリカのものだった。イギリスは海底電線ケーブルによる電線網をもち、文字通り「七つの海を制覇した」。言うまでも無く電信網はその植民地支配をロンドンでコントロールするためのものであった。
 このイギリスの海底ケーブル網は1850年頃に「世界制覇の第一歩は海底ケーブルの制覇にあり」という戦略的に意図で始まったもので、1902年に南アフリカ連邦とオーストラリアをロンドンとつなぐことに成功して完成させた。1902年日英同盟が締結された年であるが、これが日本にとってのメリットの一つでもあった。
 イギリスが海底ケーブルの世界制覇を可能にした理由には次のことが考えられる。
  • 産業革命の先進国であり、製造技術が高かったこと。
  • 海底テーブルに不可欠なガタパーチャの生産と販売を独占したこと。
  • 民間企業を巧みに使ったこと。
ケーブル絶縁材を独占 2項目のガタパーチャとは、Gutta Percha で、グッタペルカともいい、イギリスが植民地としたマレー、ボルネオなどでとれるゴムに似た樹脂の一種で、現地住民は古くから身の回りの品々に使用していたものであるが、加工性や強度にすぐれていることが知られていた。マイケル=ファラデーが電気絶縁材を探していたところ、これを応用することができることを発見した。そこでこれを海底ケーブルの絶縁や補強に用いることにし、イギリスは東南アジアの植民地に広大なガタパーチャの栽培農場を経営し、その生産と販売を独占することで、海底ケーブルの生産もまた、イギリスの独壇場となったのである。<石原藤夫『国際通信の日本史』1999 東海大学出版会 p.11-13>