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ニュージーランド

1642年、オランダのタスマンが到達、1769年にクックが領有を宣言し、イギリス領となった。1931年、イギリス連邦を構成する実質的独立国となる。

ニュージーランド地図
NEW ZEALAND Yahoo Map
 1642年、オランダ人タスマンが、ヨーロッパ人としては初めてこの地に到達した。オランダ東インド会社のタスマンは1642年から43年にかけて広大なオーストラリア大陸の周辺を調査し、この時タスマン島の東に大きな島を見つけた。タスマンはオランダのゼーラント(Zeeland)州の出身なので新ゼーラント(Nieuw Zeeland)島と名付けた。南太平洋の最大の島嶼で、北島と南島からなる。
 ページ内の小見出し 現在のニュージーランド  NewS 英司令官像を撤去

先住民マオリ

 1769年にイギリスのクックが来航し、この地をイギリス領と宣言、それからヨーロッパ人の移住が始まった。ニュージーランドには900年前にタヒチなどから移り住んだと思われる、先住民マオリ人が、この島をアオテアロアと呼んでいた。彼らは、宣教師などの白人入植者に激しく抵抗したため、白人の入植は順調ではなかったが、やがて白人が交易品として与えた鉄砲を使って部族間が激しく争うようになったことと、白人のもちこんだ病気によってマオリ人の人口は急激に減少した。

ワイタンギ条約

ワイタンギ条約

ワイタンギ条約の締結

 1840年、イギリスは先住民のマオリ人との間でワイタンギ条約を結び、イギリス領に組み入れたので、この時以降、英語式にニュージーランド(New Zealand)と呼ぶようになった。
 ワイタンギ条約ではニュージーランドの土地は永久にマオリ人の共有であると定められていたが、実際にはイギリス人入植者は土地私有の観念のないマオリ人を騙して次々と土地所有権を買い取り、農園を作っていった。条約の内容が守られないことに不満を持った守り人は武器を持って立ち上がり、マオリ戦争と言われる戦闘が起こったが、白人は次第に優位をしめ、マオリ人は土地を失っていった。特に1864年に金鉱が発見され、さらに羊毛の生産が始まると白人の移民が増加し、イギリス植民地として重要性を増していった。

自治と女性参政権

 白人入植者はすでに、1852年には自治を行うようになり、本国イギリスの植民地のなかでも独自の地位を築いていった。またマオリ人に対しては1864年に選挙権を与えている。さらに、1893年には世界最初の女性参政権を実現したことでも知られる。

現在のニュージーランド王国

ニュージーランド国旗
ニュージーランド国旗
赤い星は南十字星を示す
 1907年、イギリスは正式に自治領として認め、イギリス植民地会議に参加した。さらに、1931年のウェストミンスター憲章で自治領をイギリス連邦の一員として独立することを承認、正式にはニュージーランド議会は1947年に独立を宣言しイギリスとも対等な主権国家となった。
 ニュージーランドは独立国であるが、イギリス国王と同じ国王(エリザベス女王)を国家元首であり、その代理である総督が統治する立憲君主政であるので国名はニュージーランド王国である。ただし、国王は本国イギリスと同じで実権はなく、また総督(Governor-General of New Zealand)は、ニュージーランド首相が指名し、イギリス国王が任命する形になっており、実権はなく儀礼的な職務を務めるだけである。立法権は議会、行政権は首相が持ち、いずれも国民の選挙で選出される。
 冷戦時代には、1951年9月にオーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国間の安全保障条約である太平洋安全保障条約(ANZUS条約)に加わり、アメリカとの関係を強めた。
 マオリ人人口はその後も減り続けたが、現在では彼らの中にも人権と土地に対する権利の回復を求める運動が起こっており、ニュージーランド政府も一定の譲歩を姿勢を見せている。
国旗問題で国民投票 ニュージーランドがイギリス(国王)から実質的に独立していることを明確にするために、「ユニオン=ジャック」を右上に戴く現行の国旗を改めようという動きが徐々に高まってきた。2015年には新国旗案も投票で決まり、いよいよ2016年3月に新国旗を採用するかどうかの国民投票が実施された。新国旗案はまったく新しいものでニュージーランド原産のシダの一種シルバーファーンを図案化しものだった。投票結果は現行国旗の継続が56.6%、新国旗に変更が43.2%で、変更しないことに決まった。同じようにイギリス連邦の一員カナダ連邦は1965年にユニオンジャックをはずし、メープルリーフを図案化した国旗に変更したが、ニュージーランドはそうはならなかった。また隣のオーストラリア連邦国旗も今もユニオンジャックを取り入れている。

Episode 女性首相の出産

 2018年6月21日、ニュージーランドで、現役の女性首相アーダーン(37歳)が女の子を出産した。6週間の産休を取っており、首相代行はピーターズ副首相が務めている。1893年に世界で初めての女性参政権が認められたニュージーランドでは、アーダーン氏はニュージーランドで三人目の女性首相、議会(一院制、120人)では、4割以上の49人を女性議員が占める。2人目の女性首相であったクラーク元首相は「二人は性の平等のロールモデルだ。私たち全員(国民)にとっても誇らしい日になった。これが21世紀のニュージーランドだ」とツィートした。現役の首相が出産した例としては、1990年、当時のパキスタンのブット首相がある。<朝日新聞、2018年6月22日朝刊>

NewS 英司令官像を撤去

 2020年6月12日、ニュージーランド北島のハミルトン市(人口約16万)で、市民広場に立つハミルトン将軍の銅像を撤去した。「植民地侵略を露骨に思い出させるものは追放すべきだ」との地元のマオリ部族からの正式な要請にこたえたもであるという。これは5月にアメリカで起こった白人警官による黒人殺害事件を巡る抗議活動を機に盛り上がった、植民地主義の遺産を見直す世界各地の運動が波及したものだった。
 ハミルトン市は、1860年代にマオリからの土地略奪戦争で、先住民マオリと戦った連隊を指揮したハミルトン大佐にちなんで名付けられた。もともとは「キリキリロア」と呼ばれ、マオリの村々があった土地だった。ハミルトン大佐司令官はマオリとの戦いで戦死したが、マオリにとってみれば侵略者でしかない。これまでも銅像撤去の声が上がっておりマオリ部落の人々はさらに同市の名前をマオリ名に戻すことを要求している。<『しんぶん赤旗』2020/6/14>

NewS タトゥーの女性外相

 ニュージーランドの新しい外相に先住民マオリのナナイア・マフタ氏(50)が就任した。彼女は顔にタトゥーを入れており、女性首相アーダーン氏の「とても多様」な内閣の象徴的存在となっている。マフタ氏は2016年に「私のアイデンディティを表す」とタトゥーを入れ、タトゥーを入れた最初の女性国会議員となっていた。アーダーン内閣は20人中、8人が女性、マオリが5人、副首相兼財務相のグラント・ロバートソン氏は同性愛者であることを公表している。<朝日新聞 2020/11/4 記事を要約>
 アーダーン首相は、新型コロナウィルス対策でも積極的なPCR検査などを実施、また連日テレビで国民に語りかけて励まし、感染の広がりを押さえ込むのに成功しているとも評価されている。