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委任統治

第一次世界大戦後、国際連盟のもとで一定の地域の統治権を有力国に委任すること。実質的に植民地支配と同じだった。第二次世界大戦後の信託統治との違いに注意。

 第一次世界大戦で戦勝国が、敗戦国から奪った植民地を領土に編入することは、領土拡張競争が大戦の原因であったことへの反省から、あからさまには出来なかった。しかし、その権利を放棄することも戦争に協力した国民感情が許さず、戦勝国が国際連盟からその管理を委任された、という形式をとって実質的な支配権を確保した。
 アメリカ大統領ウィルソンは大戦後の国際社会の指針として十四カ条を発表、その中で民族自決をたからかに掲げていたので、委任統治という方法は植民地大国であったイギリス・フランスが、ウィルソンに憚って考えた便法と言える。

国際連盟規約第22条

 1919年1月に始まったパリ講和会議での議論を経て、4月に国際連盟規約が合意され、それは6月にヴェルサイユ条約の第1編として調印され、成立した。「委任統治」という概念は、ウィルソンの「民族自決」と言う理念と、現実の植民地支配の利益とを妥協させた産物として、国際連盟規約第22条に規定された。
 国際連盟規約第22条では、「委任統治」とは「近代世界の苛烈な条件のもとでまだ自立しえない人々が居住しているところ」の「福祉と発達をはかること」は「文明の神聖なる使命」であるが、それを実現する最善の方法は「後見の任務を、資源や経験あるいは地理的位置によってその責任を引き受けるのにもっとも適し、かつそれを進んで受諾する先進国に委任し、連盟に代わる受任国としてその国に後見の任務を遂行させることである」としている。

事実上の植民地支配

 旧ドイツ帝国・旧オスマン帝国領だった地域については、国際連盟規約第22条に規定される「まだ自立しえない人々が居住しているところ」であるとして、ひとまず国際連盟に譲渡され、そのうえで先進国にその統治を「委任」(まかせる)という方式で処理されることになった。委任を受けた国を受任国という。
 最大の焦点であった旧オスマン帝国領については、1920年8月セーヴル条約で細目が定められ、イギリスとフランスが分割して委任統治とすることになった。
 委任統治は、その自治の度合いでABCの三段階にランクされた。Aランクは自治の度合いが高い地域(早期に独立を促すことが可能な地域)であり、住民には受任高の国籍が与えられる。B・Cランクは住民の水準が自治を与えられるのにふさわしくない地域で、国籍は与えられない。ABCの実際の区分は次のように行われた。( )がそれぞれの受任国である。
  • 旧オスマン帝国領
  • 旧ドイツ帝国領 中部アフリカ
    • B トーゴランド(フランスとイギリスで分割):現在のトーゴとガーナの一部
    • B カメルーン(イギリスとフランスで分割)現在のカメルーン
    • B ルアンダ=ウルンディ(ベルギー):現在のルワンダ・ブルンジ
    • B タンガニーカ(イギリス):現在のタンザニア
    • C 南西アフリカ(南アフリカ):現在のナミビア
  • 旧ドイツ帝国領 太平洋地域
    • C 赤道以北の南洋諸島(日本)
    • C ニューギニア・赤道以南のビスマルク諸島(オーストラリア)
    • C ナウル(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド共同)
    • C 西サモア(ニュージーランド)
 委任統治と言っても事実上の植民地であり、帝国主義国による新たな世界分割の方式にすぎず、これらの地域では「民族自決」の理念は適用されなかった。
 バルカン半島のアルバニアはヴェルサイユ会議でイタリアの委任統治とされたが、強い反発が起こり1920年には独立国であることが承認され、国際連盟にも加盟した。
 委任統治領の線引きは、現実の民族分布を無視して統治者側によって行われた。そのことが現在の中東地域の紛争の最大の要因になっている。 → オスマン帝国領の分割案

委任統治と信託統治の違い

 委任統治(mandate)は第一次世界大戦後の国際連盟のもとでの統治方式で、国際連盟がある地域の統治を受任国に委任するもの。国際連盟の直接的な関与はないので、実質的には受任国に統治は任された。つまり、植民地支配と異ならなかった(自治の程度で3クラスがあったが)。それに対して信託統治(trusteeship)は第二次世界大戦後の国際連合のもとでの統治方式で、統治を受任国が行うのは委任と同じだが、国際連合の信託統治理事会が監督・指導することとなっている点が異なっている。 → 信託統治理事会
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