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国民革命軍

国共合作期に中国国民党が組織した国民革命のための軍隊。北伐の主力となる。国共内戦では中国共産党の人民解放軍に敗れた。

 1925年8月に中国国民党が国民革命を推進するために組織した軍隊。前年に設立した黄埔軍官学校で養成した幹部を中心に組織し、はじめ五つの軍団を構成し、それぞれに国民党員が政治的指導員として配置された。国民革命軍は当初から蔣介石が総司令として掌握し、国民党内で汪精衛(汪兆銘)などの主流に対抗する力をつけていくこととなる。蔣介石は国民革命軍を率いて1926年から北京の軍閥政権打倒をめざし、北伐を開始することとなる。

北伐での勝利

 この国民革命軍は、有力者の私兵集団ないしは傭兵集団に近い軍閥の軍隊に比較すれば、革命のために戦うという戦闘意欲も高く、また組織化され、命令系統が一本化されているなど、近代的軍隊として造られたが、それでもなお徴兵制に基づく軍隊ではなく、募兵制であり、地域的な集団意識などがなお強く残っていた。特に北伐再開後は反帝国主義・反軍閥の目標は希薄となり、降伏した軍閥軍を含み、軍閥連合軍の様相を呈していた。国民革命軍は北伐を完成させ、軍閥との戦闘では勝利を占めることができた。

紅軍との戦いと合作

 国共分裂後の中国共産党軍である紅軍との戦いでも、瑞金の拠点から共産党を追い出して大西遷(長征)に追い込んだ。日中戦争では第2次国共合作が成立して、紅軍と合同編成となり、八路軍などを編成して日本軍と戦った。

国共内戦での敗北

 日中戦争後の国共内戦(第2次)人民解放軍と改称した共産党軍と再び戦ったが、次第にその古い体質があらわとなって、国民の支持を失い、結局は敗北することとなる。<野村浩一『蔣介石と毛沢東』現代アジアの肖像 岩波書店 p.36~39>

Episode 蔣介石のパターナリズム

 蔣介石は黄埔軍官学校の校長としてほとんど毎週、自ら講話を行い、「三民主義革命」を説き、「一身を犠牲にして革命のために死ぬ」ことを教えた。そこで強調されたのは彼を家父長とする家族・宗族的結びつきであった。蔣介石自身も腹心の部下と義兄弟の契りを結ぶことを好んだ。このような「黄埔原型」は国民革命軍に色濃く、「革命軍連座法」があって「敵前で隊員が退却すればその隊長を殺す」とされていた。このような家父長主義(パターナリズム)は儒教的道徳観であると共に、蔣介石が日本陸軍の軍営経験の投影であるかもしれない。<野村浩一 同上 p.53~57>