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侵略の定義

国家間の「侵略」について、その定義を定める試みは1933年、国際連盟主催のジュネーヴ軍縮会議でソ連代表リトヴィノフが提案した「侵略の定義に関する条約」に始まる。この条約は東欧諸国間で締結されたにとどまったが、第二次世界大戦後の1974年、国際連合総会で「侵略の定義に関する決議」がなされた。

侵略の定義に関する条約

 ジュネーヴ軍縮会議(1932~34年)は、イギリス・フランスなどとナチス=ドイツの対立から、成果を収めることができず、ヴェルサイユ体制の矛盾点が明らかとなって閉会したが、注目すべき副産物を生んでいる。
 ソ連は1933年の世界的なファシズム、軍国主義、侵略的軍事行動の高まりに強い警戒心を抱いた。そこで外務人民委員となったリトヴィノフは、2月6日、ジュネーヴ軍縮会議の席上、「侵略」に弁明と口実を与えないために「できるだけ正確に侵略を定義する」ことが必要であるとして、「侵略の定義に関する条約」を提案した。この提案は、軍縮会議では成功しなかったが、同年7月3日、ソ連邦とポーランド・ルーマニア・トルコ・エストニア・ラトヴィア・アフガニスタン・イランとのあいだに「侵略の定義に関する条約」が成立、さらに7月中に東欧諸国を中心に締結国が増大した。<斎藤孝『戦間期国際政治史』1978 岩波書店 p.146>
 これは第二次世界大戦前のことで、結局、各国は様々な口実を設けて、侵略を激しく行うこととなった。ドイツや日本だけでなく、ソ連もその例外ではなかった。スターリン体制が確固たるものになると、レーニンの「平和についての布告」とこのリトヴィノフの「侵略の定義に関する条約」をソ連自身が棚上げにして、バルト三国やポーランドを侵略し、占領してしまった。

侵略の定義に関する決議

戦後の1974年、国際連合総会で「侵略の定義に関する決議」がなされた。侵略の認定は安全保障理事会が行うが、常任理事国の拒否権の行使よって決定できない場合は、緊急特別総会で多数決によって決議される。

国連の「侵略の定義に関する決議」

 第二次世界大戦後、まだ冷戦体制が続く中、1974年12月14日に、国際連合は総会において、「侵略の定義に関する決議」を採択している。この決議では、侵略とは第1条に、「国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」ということであり、第2条では侵略を認定するのは国連の安全保障理事会と定めている。さらに具体的な侵略行為にあたるものとして、第3条に軍隊による侵入、攻撃、占領、併合などの他、7項目を挙げている。
安保理と緊急特別総会 問題は、侵略行為であるかどうかは安全保障理事会が判定するが、その場合、常任理事国の五大国には拒否権が認められているので、往々にしてアメリカ、ソ連(後にロシア)と利害が一致しない。朝鮮戦争の場合もそのようなことが起きることが想定されたので、1950年に平和のための結集が決議され、そのような場合には安保理は(多数決で)総会に対して緊急特別会合を開催して審議、決議することができるようになった。
資料 国際連合総会「侵略の定義に関する決議」
  • 第1条(侵略の定義)国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。
  • 第2条(武力の最初の使用)国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、国際連合憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当に評価されないとの結論を下すことができる。
  • 第3条(侵略行為)次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。
    1. 一国の軍隊による他国の領域に対する侵入若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合
    2. 一国の軍隊による他国の領域に対する砲爆撃、又は国に一国による他国の領域に対する兵器の使用
    3. 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖
    4. 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に関する攻撃
    5. 受入国との合意にもとづきその国の領域内にある軍隊の当該合意において定められている条件に反する使用、又は、当該合意の終了後のかかる領域内における当該軍隊の駐留の継続
    6. 他国の使用に供した領域を、当該他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家の行為
    7. 上記の諸行為に相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装した集団、団体、不正規兵又は傭兵の国家による若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与

国際刑事裁判所の発足

 1998年に成立した国際刑事裁判所設立条約に基づいて、2003年に国際刑事裁判所(ICC)が設立され他(所在地はオランダのハーグ)。この裁判は当初は戦争犯罪や集団虐殺、人道に反した罪を犯した個人を裁く裁判所として発足した。2009年にはスーダン共和国の現職の国家元首であるバシル大統領をダルフール紛争の残虐行為の責任が追及された。「侵略の罪」に関しては、2010年にウガンダのカンパラで再検討会議が開催され、74年の国連決議の「侵略の定義」にもとづき、侵略の罪にに関わった個人を裁くことが加えられた。

Episode 侵略の定義はない?

 2013年4月23日、安倍晋三首相は国会答弁で「侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と語った。これは1995年の村山談話が日本のアジア諸国に対する侵略と植民地支配責任を認めたことを「そのまま継承しているわけではない」という同月22日の答弁に続いて出てきた言葉であった。1974年の国連決議については、朝日新聞の4月30日付「声」欄で、埼玉県志木市の三浦永光さんが「安倍首相は侵略解釈を改めよ」という投稿の中で述べておられることから教えられた。
 安倍首相の言っているのは、満州事変以降のできごとは中国は侵略と言うでしょうが、日本から見れば侵略ではありません、ということだ。たしかに、1974年以前の歴史的出来事なので、国連決議の対象になるはずはないが、「侵略」の定義が無い、というのは誤った認識である。日本の過去を自尊的に誇りたい気持ちから、戦前の日本が行ったことを「侵略」ではない、と言いたいのだろうが、残念ながら当時の国際連盟によって自衛行為ではないと認定されており、侵略と見なされてもしかたがない。韓国併合は武力侵略には当たらないが、日清戦争で宗主国清と戦争をしたことで併合に至った経緯は、明らかに「植民地化」である。都合の悪いところを忘却するのではなく、アジアに共通の正しい歴史認識をもつべきであろう。
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