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遵義会議

長征途上の1935年の中国共産党首脳会議で毛沢東の主導権が確立した。

 長征途中の中国共産党が、1935年1月15日から、貴州省遵義において開催した首脳部による会議。中国共産党は国民党との国共内戦で、その圧力を受け、 中華ソヴィエト共和国の首都瑞金を放棄し、長征に移らなければならなくなっていた。苦しい行軍を続ける長征の途中、貴州省の遵義において、路線決定のための重大会議を開催した。

毛沢東、主導権にぎる

 この遵義会議において、中国共産党はそれまでのコミンテルン指導路線が否定され、毛沢東の指導権が確立した。中国共産党の路線は、コミンテルンから派遣されていたリトロフらの指示に忠実な秦邦憲(ソ連留学組)ら都市に対する全面攻撃を主張していた主流派と、中国独自の革命路線をかかげ農村に根拠地を造って都市を包囲する戦術を主張していた毛沢東らがするどく対立していた。毛沢東は主流派を「極左冒険主義」として批判、それまで主流派であった周恩来が自己批判して誤りを認め、会議の大勢は毛沢東支持にまわり、結局秦邦憲は指導部からはずされ、毛沢東が軍事担当の政治局常任委員に復活した。これによって毛沢東が共産党の主導権を握り、毛沢東路線が採用されることになった。中国共産党でコミンテルンの支持を得ずに指導権を握ったのは毛沢東が初めてであった。コミンテルンは共産党内で王明などソ連帰国組を通じてなお影響力を持ち、1943年にコミンテルンの解散するまで対立が続く。
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