シューマン
第二次世界大戦後のフランスの外相。1950年、シューマン=プランを提唱しヨーロッパ統合の道筋をつけた。
フランスの外相(在任1948~52)で、1950年5月9日にシューマン=プランと言われる「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」(ECSC)構想を提唱し、ヨーロッパの統合に道筋を付けた人物。彼は戦後にドイツからフランスに返還されたロレーヌ地方出身のドイツ系のフランス人で、ロベール=シューマンという。ドイツの音楽家ロベルト=シューマンと同名。外相の地位を退いてからもヨーロッパ統合に意欲を燃やし、1958年からヨーロッパ議員総会の議長を務めた。現在、ブリュッセルのEU理事会や欧州委員会前の地下鉄の駅名は彼を記念してシューマン駅と名付けられている。また、シューマンがシューマン=プランを提唱したのが1950年5月9日だったので、現在5月9日はEU加盟国では「ヨーロッパの日」として祝われている。 → ヨーロッパの統合
シューマン=プラン
1950年5月9日、フランスの外相シューマンが発表した、フランス・西ドイツなどで石炭・鉄鋼を共同管理する提案。西ドイツが受け入れ、1950年6月3日に、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が設立された。これによって、ヨーロッパの統合の具体化が大きく前進した。
フランスと西ドイツの思惑
フランス側としては、ドイツとの経済紛争の火種となるルール地方とザール地方の炭田地帯を国際管理下におくことが目的であった。フランスは西ドイツに対する潜在的な恐怖心を持っていたが、軍事力の基盤となる石炭と鉄鋼を共同でコントロールすることによって西ドイツの行動(再軍備)を拘束する方針に傾いた。また西ドイツのアデナウアーは対フランス和解によって再軍備が可能になると考えた。発表の翌月、朝鮮戦争が勃発、東側の軍事侵攻を現実のもとして警戒することに迫られたフランス・西ドイツは提携を急ぐこととなった。またフランスと西ドイツが原料供給で統合することは、イギリスにとって脅威となるので、イギリスはこの構想には反対した。