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戦略防衛構想/SDI

1983年、アメリカ・レーガン大統領の宇宙に展開する対ソ防衛網構想。米ソの核開発競争を宇宙空間まで拡大する危険な計画であったが、技術的に行き詰まり、10年後に停止された。

 1983年3月、アメリカのレーガン大統領が打ち出した、アメリカ防衛構想で、戦略ミサイル防衛構想。SDIは Strategic Defense Initiative の略。別名スターウォーズ計画
 具体的には、「ソ連のミサイルがアメリカに到達する前にそれを迎撃し、破壊する防衛網を作り、アメリカ人が安心して暮らせるようにする」ということであり、そのため宇宙に防衛網を広げるというものであった。このレーガン構想はソ連を硬化させ1980年代前半の「新冷戦」をもたらした。
 迎撃ミサイルの制限については、1972年に米ソ間で迎撃ミサイル(ABM)制限条約が成立していたが、このSDI計画はそれに違反するものだった。レーガン政権はソ連の核兵器を「無力化し、時代遅れにする」構想であったが、ソ連は強く反発し、1986年のレイキャヴィクでのレーガン、ゴルバチョフ会談は核軍縮での王位には至らなかった。

構想の放棄

 しかし、その実現には技術的な困難とともに莫大な費用がかかることから計画は進まなかった。そのうち、1985年にソ連にゴルバチョフ政権が誕生し、さらに1989年には冷戦が終結、1991年にソ連が崩壊するという急速な変化がおこったため現実性がなくなり、アメリカ政府は1993年には正式に放棄した。

SDIからBMDへ

 冷戦の終結は、従来の米ソの核開発競争を一変させ、新たな地域紛争の多発と共に、中国、北朝鮮といった新たな核保有国の脅威が生まれ、アメリカはそれへの対応を迫られることとなった。レーガンを継承したブッシュ(父)政権はソ連とのSTART・Ⅰの調印に踏み切ったが、一方でSDIを継承するBMD(弾道ミサイル防衛=Ballistic Missile Defense)構想を掲げ、より実現性のある核防衛体制作りを開始した。BMDにはNMD(アメリカ本土ミサイル防衛)とTMD(戦域ミサイル防衛)から成っているが、TMDは日本を含むアジア防衛構想であり、北朝鮮からの核攻撃を想定した防衛システムを日本の協力によって進めようというものである。

SDIが実現しなかった理由

 弾道ミサイルを迎撃するには、根本的に異なる3種類の方法がある。宇宙空間に上昇していく間=ブースト段階、宇宙空間を飛行している間=ミッドコース段階、大気圏内に再突入する間=ターミナル段階のそれぞれ独自の物理の法則に伴う問題がある。ICBMはブースト段階が最も攻撃にもろい。だがブースト段階の迎撃のためには、弾道ミサイルが見える直線上に設置しなければならないが、国土の広いソ連の内陸で発射される場合は海上配備型の迎撃ミサイルでは対応できない。
(引用)レーガンのSDIプログラムは、こうした地理的制約を克服するために、衛星にレーザーかエックス線兵器を搭載し、ソ連の発射物に到達させようとしたものだった。だがそれには何百もの衛星が必要で、ICBMが発射されたときに、少なくとも1基の衛星はそれを直接撃てることが求められた。その代わりに、光線兵器を衛星に搭載して、ミサイル発射場の「上空にとどまらせる」(静止軌道として知られる)こともできた。だが、その軌道は宇宙のかなたにあり、2万マイル以上離れたところからICBMを「仕留め」られるほどの強力な光線兵器が必要である。こうした基礎的な物理的問題により、SDI計画は導入されなかった。<W.ペリー/T.コリーナ『核のボタン』2020 朝日新聞社 p.216>