中距離核戦力全廃条約/INF全廃条約
1987年、ゴルバチョフとレーガンの米ソ首脳が中距離核戦力(INF)全廃に合意して締結した。ソ連崩壊後ロシアが継承、核軍縮の枠組みとして期待されたが、1990年代から中国の軍拡という新たな情勢が出てきたことで維持が難しくなり、2019年8月失効した。
INF全廃条約に調印するゴルバチョフとレーガン 1987年ワシントンDC
1987年12月8日、アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長の間で締結された、中距離核戦力(INF)の全廃を約束した条約。
中距離核戦力とは 中距離核戦力=INF(Intermediate-Range Nuclear Forces) とは、戦略核兵器(相手の政治中枢を破壊する目的の核兵器。およそ米ソ国境間の距離5500kmを超えてとばすもの)と戦術核兵器(敵部隊との遭遇戦で使用する核兵器)との中間にある核兵器という意味で、戦域核ともいう。米ソ本国よりもその中間にあるヨーロッパ地域で配備され、70年代末にソ連がトレーラーで移動可能な中距離ミサイルであるSS20を開発したことから現実的な脅威として問題となった。NATO側も中距離核戦力パーシングⅡの配備を進め、70年代の戦略兵器制限交渉(SALT)、さらに戦略兵器削減交渉(START)の網にかからないところで配備競争が続いた。
交渉を劇的に進捗させたのは、1985年にソ連にゴルバチョフ政権が登場し、それまでの硬直した外交方針を改める新思考外交を打ち出したことであった。交渉は難航したが、1986年10月にアイスランドの首都レイキャビクでレーガン・ゴルバチョフの首脳会談がもたれ、ゴルバチョフが積極的にINF削減、廃止を提案し、急速に合意にむかった。レイキャビク会談の後、1987年12月にワシントンDCにおいて正式にINF全廃条約に調印、全廃が約束された。
しかし、ここでの中距離核戦力は陸上のみに限定されたので、空中および海中から発射されるものは含まれていないという抜け道があったので、両国は巡航ミサイルの開発を密かに進めるなど、相互不信が続いた。
2009年、アメリカ大統領オバマはプラハ演説で核なき世界をめざすことを表明し、ノーベル平和賞を受賞した。そのオバマ政権は2014年7月、ロシアの地上発射型巡航ミサイルが500kmを越えるとして条約違反を指摘した。条約では一方が相手の履行に疑問を持てば特別検証委員会を開催すると定めていたが、その後委員会開催は2回にとどまった。
大きく情勢が変化したのが、2017年1月アメリカ大統領に共和党トランプが就任したことであった。トランプ(およびその背後のボルトンなどネオコンといわれる右派政治家)がこの条約が不都合だと考えたのは、1990年代から急速に軍備を拡張し始めた中国の存在であった。中国はINF条約に拘束されないので、アメリカにとってはそれが足かせになると考えたのであろう。事実中国は2015年に軍事パレードで対艦弾道ミサイルと中距離弾道ミサイルを誇示している。
こうして中距離核戦力をフリーハンドで配備することが出来るようになったトランプとプーチンはそれぞれ配備競争を開始するであろう。またそれはかつてのような配備数を競うのではなく、より高性能な核戦力の開発に向かうであろうと言われている。さらに、トランプの狙いは中国との力のバランスを維持することであるので、中国に対抗して日本への中距離核戦力の配備を求めてくることが予想される。
INF条約失効によって核戦争の脅威が一段と高まることが懸念されるが、中国を含む核保有国による核拡散防止条約(NPT)の実効力を高めること、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の批准・発効が重要な意味をもつと考えられる。2020年に核兵器禁止条約が規定の50ヵ国以上の批准によって2021年に発効することとなった。
感想 INF全廃条約の失効直後のアメリカの実験は、ロシアとの緊張だけでなく、中国も含め、東アジアの緊張をより高めることになるだろう。トランプの時代になって、米中貿易対立にくわえ米・ロシア軍拡競争が本格化しそうな勢いであるが、これは「タチの悪い」冷戦だ。かつての冷戦は一応、それぞれがイデオロギーをかかげ、「何のために戦うか」という事がはっきりしていたが、今進行しているのは単なる「覇権」をめぐる「力」の争いでしかない。トランプが目論むというグリーンランドの買収など、世界史的に見れば18~19世紀に逆戻りした観がある。
イラン情勢、インド=パキスタン情勢の悪化も目が離せないが、日本にとってはINF全廃条約失効は直接影響する。日本の一部には、中国の脅威に備えるためにアメリカが中距離ミサイルを日本に配備できるようになるのは歓迎すべきだといった意見が見られるが、とんでもない。中国(そして北朝鮮)の核開発・ミサイル開発にますます口実を与えることになるだけだ。そしてロシアは北方領土返還などは全く論外という姿勢を強めるだろう。北朝鮮はますます意固地になるだろう。そんな中、韓国と喧嘩している場合ではないのでは?日本が本当の外交をしなければならなくなるに違いない。<2019/8/21記>
中距離核戦力とは 中距離核戦力=INF(Intermediate-Range Nuclear Forces) とは、戦略核兵器(相手の政治中枢を破壊する目的の核兵器。およそ米ソ国境間の距離5500kmを超えてとばすもの)と戦術核兵器(敵部隊との遭遇戦で使用する核兵器)との中間にある核兵器という意味で、戦域核ともいう。米ソ本国よりもその中間にあるヨーロッパ地域で配備され、70年代末にソ連がトレーラーで移動可能な中距離ミサイルであるSS20を開発したことから現実的な脅威として問題となった。NATO側も中距離核戦力パーシングⅡの配備を進め、70年代の戦略兵器制限交渉(SALT)、さらに戦略兵器削減交渉(START)の網にかからないところで配備競争が続いた。
新冷戦下の交渉
1979年のソ連のアフガニスタン侵攻、さらに1980年代にアメリカのレーガン大統領が戦略防衛構想(SDI)を打ち出したため米ソ間は新冷戦と言われるようになったが、西ドイツなど中距離核兵器の脅威にさらされているヨーロッパ諸国の働きかけもあって、交渉が始まった。交渉を劇的に進捗させたのは、1985年にソ連にゴルバチョフ政権が登場し、それまでの硬直した外交方針を改める新思考外交を打ち出したことであった。交渉は難航したが、1986年10月にアイスランドの首都レイキャビクでレーガン・ゴルバチョフの首脳会談がもたれ、ゴルバチョフが積極的にINF削減、廃止を提案し、急速に合意にむかった。レイキャビク会談の後、1987年12月にワシントンDCにおいて正式にINF全廃条約に調印、全廃が約束された。
中距離核戦力廃棄の意味
中距離核戦力(INF)は距離500km~5500kmの間で使用されるミサイルなどの核兵器のことで、アメリカとロシアが直接相手を攻撃するためものではない。上述のようにアメリカは西ヨーロッパのNATO加盟国である親米国に配備し、ソ連攻撃を狙うものであった。米ソが大陸間弾道弾によって直接相手を攻撃するよりも、現実性の高い軍事配備であるので両国ともその配備数を競う傾向があった。その競争が際限なく行われることは両国の経済に負担になるので、制限の必要を両国が感じ、一気に全廃にすることに合意したものと思われる。この時点ではアジアでの配備は問題外であった。核兵器廃棄と抜け道
その合意に基づき、1991年までに中距離核戦力(INF)として廃棄対象とされたミサイルが、アメリカ側は846基、ソ連側は1846基に及び、同年中に全廃が完了した。その年、ソ連が崩壊し条約をロシアが継承し、ロシアとアメリカの間で相互査察が10年間にわたって実施され、2001年には完全履行を相互確認して終了した。アメリカとロシアはそれぞれが使用しなくなったINFを、冷戦時代の遺物として博物館に飾っているという。しかし、ここでの中距離核戦力は陸上のみに限定されたので、空中および海中から発射されるものは含まれていないという抜け道があったので、両国は巡航ミサイルの開発を密かに進めるなど、相互不信が続いた。
新たな対立
INF全廃条約は冷戦の終結の象徴であり、二大国による核戦力軍縮の枠組みとして世界中の期待を集めた。2007年にはアメリカとロシアも当初は他の核保有国へも条約参加を呼びかけるなどの動きを見せていたが、ロシアのプーチンは次第に大国主義を標榜してこの条約に拘束されることを嫌うようになった。2009年、アメリカ大統領オバマはプラハ演説で核なき世界をめざすことを表明し、ノーベル平和賞を受賞した。そのオバマ政権は2014年7月、ロシアの地上発射型巡航ミサイルが500kmを越えるとして条約違反を指摘した。条約では一方が相手の履行に疑問を持てば特別検証委員会を開催すると定めていたが、その後委員会開催は2回にとどまった。
大きく情勢が変化したのが、2017年1月アメリカ大統領に共和党トランプが就任したことであった。トランプ(およびその背後のボルトンなどネオコンといわれる右派政治家)がこの条約が不都合だと考えたのは、1990年代から急速に軍備を拡張し始めた中国の存在であった。中国はINF条約に拘束されないので、アメリカにとってはそれが足かせになると考えたのであろう。事実中国は2015年に軍事パレードで対艦弾道ミサイルと中距離弾道ミサイルを誇示している。
NewS 2019年8月1日、INF全廃条約失効
アメリカのトランプ大統領は2018年末、ロシアに対し60日間以内にミサイルを破棄することを最後通告、受け入れられなかったとして、2019年2月1日に正式な離脱手続きに踏み切った。翌日、双方が条約義務履行停止を声明、半年後の8月1日に失効が発効した。こうして中距離核戦力をフリーハンドで配備することが出来るようになったトランプとプーチンはそれぞれ配備競争を開始するであろう。またそれはかつてのような配備数を競うのではなく、より高性能な核戦力の開発に向かうであろうと言われている。さらに、トランプの狙いは中国との力のバランスを維持することであるので、中国に対抗して日本への中距離核戦力の配備を求めてくることが予想される。
INF条約失効によって核戦争の脅威が一段と高まることが懸念されるが、中国を含む核保有国による核拡散防止条約(NPT)の実効力を高めること、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の批准・発効が重要な意味をもつと考えられる。2020年に核兵器禁止条約が規定の50ヵ国以上の批准によって2021年に発効することとなった。
NewS アメリカ中距離ミサイル発射実験
2019年8月1日にIMF全廃条約を失効させたわずか16日後、アメリカはカリフォルニア州サンイコラス島で地上発射型の中距離巡航ミサイルの発射実験を行った。ロシアは「緊張を高めているのは米国だ」と批判、ミサイルの実戦配備への警戒を強めており、中国を含めた軍拡競争が本格化する恐れがある。ロイター通信によるとアメリカは11月に地上配備型中距離弾道ミサイルの発射実験を行う予定で、日本を含むアジアへの配備を視野に入れているという。<朝日新聞 2019/12/21 朝刊>感想 INF全廃条約の失効直後のアメリカの実験は、ロシアとの緊張だけでなく、中国も含め、東アジアの緊張をより高めることになるだろう。トランプの時代になって、米中貿易対立にくわえ米・ロシア軍拡競争が本格化しそうな勢いであるが、これは「タチの悪い」冷戦だ。かつての冷戦は一応、それぞれがイデオロギーをかかげ、「何のために戦うか」という事がはっきりしていたが、今進行しているのは単なる「覇権」をめぐる「力」の争いでしかない。トランプが目論むというグリーンランドの買収など、世界史的に見れば18~19世紀に逆戻りした観がある。
イラン情勢、インド=パキスタン情勢の悪化も目が離せないが、日本にとってはINF全廃条約失効は直接影響する。日本の一部には、中国の脅威に備えるためにアメリカが中距離ミサイルを日本に配備できるようになるのは歓迎すべきだといった意見が見られるが、とんでもない。中国(そして北朝鮮)の核開発・ミサイル開発にますます口実を与えることになるだけだ。そしてロシアは北方領土返還などは全く論外という姿勢を強めるだろう。北朝鮮はますます意固地になるだろう。そんな中、韓国と喧嘩している場合ではないのでは?日本が本当の外交をしなければならなくなるに違いない。<2019/8/21記>
NewS 新STARTの延長
アメリカとロシアの間の核軍縮の枠組みとして、オバマ大統領の2010年に始まった新START(戦略核兵器削減交渉)は、このINF条約失効によって両国間の唯一の条約となったが、トランプ大統領の登場でその延長が危うくなっていた。バイデン政権の登場によって2021年2月に五年間の延長で合意が成立した。これによって米ロ間の核軍縮に向けてのチャンネルは残ることとなった。