戦略兵器削減条約(第1次)/START・Ⅰ
1982~91年の米ソ首脳による戦略兵器(核ミサイル)の削減をめざす交渉(START・Ⅰ)によって、1991年に締結された条約。冷戦終結によって合意形成が進み、ブッシュ(父)とゴルバチョフが調印した。二国間での核弾頭と運搬手段の削減で合意し、続けて第2次交渉(START・Ⅱ)でミサイル本体の削減交渉に入った。
1980年代の米ソ二国間の軍縮交渉である戦略兵器削減交渉、START(スタート) Strategic Arms Reduction Talks は、70年代の戦略兵器制限交渉=SALT(ソルト、サルト) Strategic Arms Limitation TalksⅠ,Ⅱ がLimitation(制限)を目的にしていたのに対し、レベルアップした Reduction(削減)を目標とした軍縮交渉であった。1982年に開始された交渉は難航したが、1989年の東欧革命を受けて、12月に米ソ首脳が冷戦の終結を宣言したことで急速に交渉が進展し、1991年7月31日、アメリカのブッシュ(父)大統領とソ連のゴルバチョフ書記長によって調印された。これが、戦略兵器削減条約 Strategic Arms Reduction Treaty であり、その略称も START である。
→ 戦略兵器削減条約(第2次) 新START
翌1973年から始まった戦略兵器制限交渉(第2次)(SALT・Ⅱ)は、79年にアメリカのカーター大統領、ソ連のブレジネフ書記長の間で合意が成立し条約が調印されたが、同1979年12月にソ連がアフガニスタン侵攻を行ったことでアメリカ議会が批准を否決したため、条約は成立しなかった。そのため、戦略兵器制限交渉は、条約締結という成果無しに終わったといえる。
米ソ両国は1982年から戦略兵器削減交渉を開始したが、新冷戦といわれる対立によって進展は見られなかった。その間もヨーロッパで米ソによる中距離核兵器の配備がすすんだことは、核戦争の現実味を高め、特にヨーロッパ諸国で核兵器反対の国際世論が高まっていった。
冷戦の終結により進展 戦略兵器削減交渉の進展が期待される中、1989年に東欧諸国で一斉に社会主義を放棄するという激変が起き、ベルリンの壁も崩壊、同年12月には米ソ首脳がマルタ会談で冷戦の終結を宣言したことで、交渉も急速に進展し、1991年7月31日、アメリカのブッシュ(父)大統領とソ連のゴルバチョフ大統領(1990年より大統領)によって戦略兵器削減条約(第1次)としてモスクワで調印された。
軍縮の実際 戦略兵器削減条約(STARTⅠ)では、戦略核弾頭は6000個に規制され、運搬手段は1600基に削減されることとなった。削減率はアメリカが約27%、ソ連が36%であった。
1994年に全欧安全保障協力機構(OSCE)が仲介してアメリカ・イギリス・ロシア三国はブダペスト覚書に調印、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタン三国が核拡散防止条約に加盟することを条件に、核兵器を放棄してロシアに引き渡すことになった。それによって戦略兵器削減条約も発効し、ロシアがその削減作業を実行することとなった。
→ 戦略兵器削減条約(第2次) 新START
「制限」交渉の失敗
1970年代のSALTは、米ソ両国による戦略核兵器の上限に制限を設ける交渉であったのに対し、80~90年代のSTARTは、制限(現状以上は製造しない)に留まらず、削減(現状の数値を減らす)という一歩進んだ交渉であり、まず保有核弾頭と運搬手段を削減することが目標とされた。ベトナム戦争の行き詰まりを打開したかったアメリカのニクソン大統領はソ連のブレジネフとの間で、1972年5月にSALT・Ⅰに合意し戦略兵器制限条約となった。翌1973年から始まった戦略兵器制限交渉(第2次)(SALT・Ⅱ)は、79年にアメリカのカーター大統領、ソ連のブレジネフ書記長の間で合意が成立し条約が調印されたが、同1979年12月にソ連がアフガニスタン侵攻を行ったことでアメリカ議会が批准を否決したため、条約は成立しなかった。そのため、戦略兵器制限交渉は、条約締結という成果無しに終わったといえる。
新冷戦での交渉難航
民主党カーター大統領は1980年のイラン大使館人質事件での人質救出に失敗して支持をなくし、同年秋の大統領選挙で共和党レーガンに敗れた。1981年に大統領となったレーガンは「強いアメリカ」の復活を唱え、ソ連を仮想敵国とする戦略防衛構想(SDI)を打ち出した。一方のソ連は東ヨーロッパで中距離核戦力(INF)を配備したため、アメリカとソ連が再び厳しく対立する「新冷戦」の時期に入った。米ソ両国は1982年から戦略兵器削減交渉を開始したが、新冷戦といわれる対立によって進展は見られなかった。その間もヨーロッパで米ソによる中距離核兵器の配備がすすんだことは、核戦争の現実味を高め、特にヨーロッパ諸国で核兵器反対の国際世論が高まっていった。
交渉の進展
戦略兵器削減交渉を劇的に進展させる動きがソ連から始まった。ソ連はブレジネフ長期政権下で社会主義国家体制が硬直し、経済の行き詰まりが顕著になったことで、1985年にゴルバチョフ政権が生まれ、新思考外交によって冷戦からの脱却を目指すようになった。一方のアメリカのレーガン大統領も貿易収支と財政の「双子の赤字」に直面し、路線転換を迫られていた。両者は1985年11月19日にジュネーヴで初めて会談し、「核戦争に勝者はいない。戦ってはならない」と合意した。両者はヨーロッパの反核運動に推される形で、1987年12月に中距離核戦力(INF)全廃条約を締結した(88年に批准書交換)。冷戦の終結により進展 戦略兵器削減交渉の進展が期待される中、1989年に東欧諸国で一斉に社会主義を放棄するという激変が起き、ベルリンの壁も崩壊、同年12月には米ソ首脳がマルタ会談で冷戦の終結を宣言したことで、交渉も急速に進展し、1991年7月31日、アメリカのブッシュ(父)大統領とソ連のゴルバチョフ大統領(1990年より大統領)によって戦略兵器削減条約(第1次)としてモスクワで調印された。
軍縮の実際 戦略兵器削減条約(STARTⅠ)では、戦略核弾頭は6000個に規制され、運搬手段は1600基に削減されることとなった。削減率はアメリカが約27%、ソ連が36%であった。
ソ連解体とロシアによる調印
戦略兵器削減条約はアメリカとソ連の間で締結されたが、両国の調印の直後に大きな変動が起こった。それは一方の当事者ソ連で1991年8月に共産党保守派のクーデタが起こったことをきっかけに、ゴルバチョフは退陣、同年12月8日にソ連の解体が一気に進んだことである。そのため条約はソ連の後継国家であるロシア、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンに継承されたが調印・発効は大きく遅延した。1994年に全欧安全保障協力機構(OSCE)が仲介してアメリカ・イギリス・ロシア三国はブダペスト覚書に調印、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタン三国が核拡散防止条約に加盟することを条件に、核兵器を放棄してロシアに引き渡すことになった。それによって戦略兵器削減条約も発効し、ロシアがその削減作業を実行することとなった。
失効
1994年に発効した第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)は、15年後に失効することになっており、条約の延長について事前に両国で協議されることはなく、2009年に失効した。ただし、2002年にブッシュ(子)とプーチンの間で、モスクワ条約が調印され、STARTⅠの合意内容は継承された。それとは別に、1991年から第2次戦略兵器削減交渉が始まり、1993年に条約として締結されている。戦略兵器削減条約(第2次)/START・Ⅱ
1991~93年、アメリカとロシア二国間の核ミサイルなど戦略兵器削減の交渉(スタートⅡ)。1993年にブッシュ(父)とエリツィン間で、2003年までに核弾頭の一定の削減すること合意し、調印された。しかし次のスタートⅢは中断された。
START・Ⅰに続き、冷戦終結後のアメリカとロシア連邦の戦略兵器の削減に関する交渉は1991年から交渉が始まった。ソ連時代に交渉が始まった第1次戦略兵器削減交渉(STARTⅠ)ソ連が解体したため、その継承国家で核兵器を保有することとなったロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンとの調印がすすまず、発効していなかった。この第2次交渉(START・Ⅱ)は1991年に最初からアメリカとロシアとの二国間で行われ、両国協議が順調に進んで、1993年1月に合意に達した。
アメリカとロシアは核軍縮交渉への努力を放棄するようになり、第三次交渉は行われないまま、事実上の核戦力開発が継続されることになった。
注意 戦略兵器制限交渉(1次と2次)・戦略兵器削減条約(1次と2次)については、
第2次戦略削減条約の締結
1993年1月3日、アメリカのブッシュ(父)とロシアのエリツィンの両大統領によって署名され、2003年1月1日までに戦略核弾頭を3000~3500の間に削減することとなった。この削減は両国とも現状の3分の1に削減することを目標としていた。をさらにその後STARTⅢに進み、双方の戦略核弾頭を2007年までに2000~2500までに削減する目標を立て交渉を行うこととなった。第3次交渉の中断
アメリカ・ロシア間ではSTART・Ⅲを継続することになっていたが、2001年の9.11同時多発テロをうけて、アメリカのブッシュ(G.W.)=(子)政権は、テロとの戦いを最優先することとなり、核戦略も大きく転換させた。弾道ミサイル防衛(BMD)構想などを強化する方針に転じた。BMD=Ballistic Missile Defense 構想とは、かつてのSDI構想のような地上配備型の防衛構想ではなく、航空機や潜水艦による海中からの発射に重点をおく構想で、中国や北朝鮮が核武装に進んでいることを想定して、ミサイル防衛システムを変更させるものであったが、その実施にはSRARTⅢ交渉は障害になると考えるようになった。また1972年に成立していた迎撃ミサイル(ABM)制限条約からも2001年に離脱を宣言、翌2002年6月13日、脱退した。ロシアのプーチン大統領とは、報復として、このSTARTⅡからの離脱を表明、条約は効力を失った。アメリカとロシアは核軍縮交渉への努力を放棄するようになり、第三次交渉は行われないまま、事実上の核戦力開発が継続されることになった。
注意 戦略兵器制限交渉(1次と2次)・戦略兵器削減条約(1次と2次)については、
- 戦略兵器の意味。実際に使用する可能性の低い、大型核兵器である大陸間弾道ミサイルなど。
- 制限と削減のちがい 制限は現状固定を意味し、削減は廃絶を目指してはいない。
- 交渉と条約 米ソ二国間だけの交渉であり、条約となったのは削減交渉の方。
新START(新戦略兵器削減条約)
2010年、オバマ政権で、アメリカとロシアの間で締結された、核軍縮の官吏についての条約。 トランプ政権で延長が危ぶまれたが、2021年、バイデン政権のもとで5年間の延長が合意された。現在のアメリカとロシアの間に唯一存在する軍縮管理に関するとりきめである。
アメリカとロシアは1960年代から核兵器開発競争を自制する必要を認識し、たがいに相手国を直接攻撃することのできる大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの戦略兵器について、双方が同意して同時に削減していこうという意図の交渉を続けていた。70年代の戦略兵器制限交渉(SALT)、80年代の戦略兵器削減交渉(START)を、何度かの停滞を乗り越えて積み上げていた。
1993年に締結した戦略兵器削減条約(第2次)(STARTⅡ)に続いて、第3次の交渉STARTⅢを行う予定であったが、そのころから中国の核兵器開発が急速に拡張されるという事態を受け、アメリカ・ロシアだけが戦略兵器を削減することが双方で疑問視されるようになった。また2001年同時多発テロ以来、アメリカは「テロとの戦争」を最大課題とすることとなり、ロシアとの軍縮交渉には消極的となった。
新STATの内容 新START(新戦略兵器削減条約)は、2017年までに、戦略核兵器(敵の首都を直接攻撃でき、その国の戦争遂行能力の壊滅を目的とした核兵器)として、核弾頭は双方とも上限1550発まで(2009年の現状はアメリカ5576発、ロシア3909発)、その運搬手段である大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル、戦略爆撃機をそれぞれ800まで削減するという内容である。
意義と問題点 核不拡散条約(NPT)に定められた核保有国の核軍縮義務を多少なりとも果たしたという意義はあるものの「核兵器ゼロ」にはほど遠く、アメリカにとっては包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期批准の課題がある。また、戦略核にとどまらず戦術核(個々の戦場で使用される、射程の短いトマホーク巡航ミサイルなど)の削減も進めなければならない。
それでも核軍縮は一歩前進したと言うことができるが、議会の賛成票はわずか4票差で成立したことに見られるように、共和党主流派などの根強い反対意見がある。この核軍縮の前途は多難であることが予想される。<朝日新聞 2010年12月24日記事>
オバマ核政策の二面性 新スタートがわずか4票差とはいえ議会で承認されたことは核軍縮を求める世論からは歓迎された。しかしオバマ政権はそのために議会の軍縮反対派(国防省や共和党保守派)と一定の妥協をはかっていた。オバマ政権は米ロの新STARTの批准を上院で認めてもらうのと引き換えに、30年間で1兆ドルを投じる核兵器の近代化計画をのんだのだった。核兵器近代化計画とは大陸間弾道ミサイル(ICBM)の本体や発射装置が古くなっていること、戦略爆撃機や原子力潜水艦の性能をグレードアップする必要があることなどから、陸・海・空軍が強く連邦政府に求めていることだった。
オバマ大統領はプラハ演説で「核なき世界」の実現をめざし、広島訪問ではアメリカは唯一の核兵器使用国としての道義的責任があると演説していたが、同時に、アメリカが核兵器を放棄することは困難で、自分が生きている間は不可能だ、とも述べていた。
INF全廃条約の解消 さらにトランプで意見は、中距離核戦力(INF)全廃条約もアメリカにとって不利な取り決めであると主張して離脱したため、2019年8月1日に失効した。これも、中国が中距離核戦力の開発を進める中で、米ロだけが全廃するのは不利になるとの主張であった。INF全廃条約の解消は、核軍縮に大きく逆行するので世界の世論には懸念が広がった。この新STARTだけがアメリカとロシアの間に残る唯一の核軍縮条約となってしまった。
ロシアのプーチン大統領は2020年10月16日に新STARTを無条件で1年間延期することを提案した。しかしアメリカのトランプ政権はそれを拒否した。
新STARTの意義と課題 課題はトランプも指摘していたとおり、中国その他の核保有国をこの枠組みに参加させることであるが、アメリカの5800発、ロシアの6375発に比べて中国は核弾頭数は320発なので比較にならないとして削減に応じるとは考えられない。このように新STARTによる核軍縮は当面、米ロの二国間協定にとどまるものと思われ、拡張は難航が予想される。<朝日新聞 2021/2/5 記事>
新STARTの延長は、それなりに意義はあるとしても、それに加えて2021年1月22日に発効した核兵器禁止条約の意義も大きくなることが考えられる。
→ AFPbb ニュース 2021/3/4
1993年に締結した戦略兵器削減条約(第2次)(STARTⅡ)に続いて、第3次の交渉STARTⅢを行う予定であったが、そのころから中国の核兵器開発が急速に拡張されるという事態を受け、アメリカ・ロシアだけが戦略兵器を削減することが双方で疑問視されるようになった。また2001年同時多発テロ以来、アメリカは「テロとの戦争」を最大課題とすることとなり、ロシアとの軍縮交渉には消極的となった。
オバマ政権の登場
2009年1月にアメリカ大統領に就任した民主党バラク=オバマは、4月5日、チェコのプラハで演説し、アメリカは核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として行動する道義的責任があることを明言し、「核なき世界」をめざすことを提唱した。このプラハ演説は世界的な共感を呼び、10月にはノーベル平和賞が与えられることになった。 → アメリカの核戦略(21世紀)新START
オバマ政権が取り組んだ具体的な課題が、ロシアとの新START(新戦略核兵器削減交渉)であった。2010年4月8日、米ロ首脳がプラハでアメリカのオバマとロシアのメドベージェフ大統領とが署名し、両国の議会批准が12月までに終わり、新STARTが発効することとなった。新STATの内容 新START(新戦略兵器削減条約)は、2017年までに、戦略核兵器(敵の首都を直接攻撃でき、その国の戦争遂行能力の壊滅を目的とした核兵器)として、核弾頭は双方とも上限1550発まで(2009年の現状はアメリカ5576発、ロシア3909発)、その運搬手段である大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル、戦略爆撃機をそれぞれ800まで削減するという内容である。
意義と問題点 核不拡散条約(NPT)に定められた核保有国の核軍縮義務を多少なりとも果たしたという意義はあるものの「核兵器ゼロ」にはほど遠く、アメリカにとっては包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期批准の課題がある。また、戦略核にとどまらず戦術核(個々の戦場で使用される、射程の短いトマホーク巡航ミサイルなど)の削減も進めなければならない。
それでも核軍縮は一歩前進したと言うことができるが、議会の賛成票はわずか4票差で成立したことに見られるように、共和党主流派などの根強い反対意見がある。この核軍縮の前途は多難であることが予想される。<朝日新聞 2010年12月24日記事>
オバマ核政策の二面性 新スタートがわずか4票差とはいえ議会で承認されたことは核軍縮を求める世論からは歓迎された。しかしオバマ政権はそのために議会の軍縮反対派(国防省や共和党保守派)と一定の妥協をはかっていた。オバマ政権は米ロの新STARTの批准を上院で認めてもらうのと引き換えに、30年間で1兆ドルを投じる核兵器の近代化計画をのんだのだった。核兵器近代化計画とは大陸間弾道ミサイル(ICBM)の本体や発射装置が古くなっていること、戦略爆撃機や原子力潜水艦の性能をグレードアップする必要があることなどから、陸・海・空軍が強く連邦政府に求めていることだった。
オバマ大統領はプラハ演説で「核なき世界」の実現をめざし、広島訪問ではアメリカは唯一の核兵器使用国としての道義的責任があると演説していたが、同時に、アメリカが核兵器を放棄することは困難で、自分が生きている間は不可能だ、とも述べていた。
新START延長交渉難航
新STARTは2021年2月に期限を迎えることとなっていた。しかし2017年に就任したトランプ大統領は「新START」はアメリカにとって「不利な取引だ」と主張していた。それは、中国の核開発を抑制するためには米ソ間の交渉だけでは不利である、これにしばられずに核兵器を増強しなければならないという意味で合ったと思われる。そのため、トランプ政権下では、延長交渉は暗礁に乗り上げた。INF全廃条約の解消 さらにトランプで意見は、中距離核戦力(INF)全廃条約もアメリカにとって不利な取り決めであると主張して離脱したため、2019年8月1日に失効した。これも、中国が中距離核戦力の開発を進める中で、米ロだけが全廃するのは不利になるとの主張であった。INF全廃条約の解消は、核軍縮に大きく逆行するので世界の世論には懸念が広がった。この新STARTだけがアメリカとロシアの間に残る唯一の核軍縮条約となってしまった。
ロシアのプーチン大統領は2020年10月16日に新STARTを無条件で1年間延期することを提案した。しかしアメリカのトランプ政権はそれを拒否した。
新START延長決定
2021年1月には民主党バイデン大統領が就任した。前年の大統領選挙が不正であったと主張するトランプ支持者が連邦議事堂に乱入するなどの混乱の中、新START延長問題はトランプ前大統領が「悪い取引だ」と批判し、中国の参加を要求したため延長交渉は難航していたので注目された。新大統領となったバイデンはオバマ政権の「核なき世界」の継承を掲げて就任し、プリンケン国務長官とともに就任直後の最初の仕事のひとつとしてその延長に取り組んだ。1月26日にプーチン大統領と合意に達し、ロシア側も人権問題などでの関係悪化の中で「最近の米ロ関係の中でただ一つのよいニュースだ」と歓迎、2月3日に調印された。これは期限切れ直前であり、ともかく2026年2月まで、5年間延長されることとなった。新STARTの意義と課題 課題はトランプも指摘していたとおり、中国その他の核保有国をこの枠組みに参加させることであるが、アメリカの5800発、ロシアの6375発に比べて中国は核弾頭数は320発なので比較にならないとして削減に応じるとは考えられない。このように新STARTによる核軍縮は当面、米ロの二国間協定にとどまるものと思われ、拡張は難航が予想される。<朝日新聞 2021/2/5 記事>
新STARTの延長は、それなりに意義はあるとしても、それに加えて2021年1月22日に発効した核兵器禁止条約の意義も大きくなることが考えられる。
→ AFPbb ニュース 2021/3/4