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迎撃ミサイル制限条約

デタントの進展する中、1972年に米ソ間で迎撃ミサイル(ABM)制限で合意した。2001年、アメリカが離脱し失効した。

 1972年5月26日に、アメリカのニクソン大統領と、ソ連のブレジネフ書記長の間で締結された、弾道ミサイルの迎撃を目的とするミサイルの開発・配備を制限した条約。50年代に弾道ミサイル(ICBM)が出現すると、続いて米ソは敵の弾道ミサイルが自国に到達する前に撃ち落とすための迎撃ミサイル(ABM=Anti-Ballistic Missaile)の開発を競うようになった。これは米ソ両国を際限のない軍拡競争に駆り立てることになり、両国の負担が増大した。そこで両国は相互確証破壊(MAD)戦略に基づき、迎撃ミサイルの制限に合意した。これは同年のSALT・Ⅰの合意と共に、70年代の緊張緩和(デタント)を象徴するものであり、また初めて核兵器に具体的な制限を加える画期となった。

ABM制限条約の失効

 2001年12月、アメリカのブッシュ(子)大統領はABM条約からの一方的離脱をロシアに通告し、同条約は失効した。理由はテロリストやならず者国家の脅威からアメリカを守るため、というものである。ならず者国家とは、核開発を進める北朝鮮と、その疑惑が強いイランのことである。<岩波小辞典『現代の戦争』2002 p.240>
 アメリカは、2001年に9.11の同時多発テロに見舞われ、それ以前から強まっていたイスラーム原理主義系の過激武装集団によるテロに悩まされ、冷戦終結後の国家防衛戦略の柱を「テロとの戦争」と規定するようになった。ブッシュ(子)ブッシュ=ドクトリンを発表して、テロとの戦争では先制攻撃が必要であるという姿勢を採りイラク戦争に踏み切った。この一連の動きは、アメリカの単独行動主義(ユニラテラリズム)への転換と見られている。
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