アフガニスタン戦争/米軍のアフガニスタン侵攻
同時多発テロの首謀者アル=カーイダのビン=ラーディンを、アフガニスタンが匿っているとして、2001年10月、アメリカのブッシュ大統領が空爆と地上軍を投入を命令して始まった、アメリカ・有志連合対アフガニスタンのターリバーン政権の戦争した。同年末までにターリバーン政権は首都カーブルを放棄、米軍に支援される新政府が樹立された。有利連合の軍事行動としては2014年に終わったが、米軍はその後も駐留、ターリバーンとの衝突も続いているが、20年にわたった長期駐留にもかかわらず状況の好転が望めないとして、2021年9月に撤退を決定した。しかしターリバーン側がほぼ全土を制圧する中、8月15日にターリバーンが首都に入りガニ大統領が脱出して崩壊、ターリバーン政権が復活した。
2001年10月7日に開始された、アメリカ合衆国・イギリス軍などの有志連合による軍事行動で、アフガニスタンのターリバーン政権が国際テロ組織アル=カーイダを匿っているとしてその壊滅をめざした。米軍を中心とした空爆と地上軍の投入により、ターリバーン政権の首都カーブルを攻撃、同年12月7日に首都を制圧したが、米軍はアル=カーイダの首謀者と目されたビン=ラーディンの捕捉には失敗した。
→ 現在のアフガニスタン 冷戦後のアメリカの外交政策
アメリカ軍に支援された北部同盟は、2001年末までにターリバーン政権を首都カーブルから追い出し、権力を奪回した。これによってアフガニスタン人同士だけで戦う「アフガニスタン内戦」から、アメリカ軍・政府軍対ターリバーンという構図の「アフガニスタン戦争」に転化したと言える。また、アメリカ兵に助けられている政府軍よりもターリバーン兵(最も彼らもパキスタンやサウジアラビアの支援を受けていたと言われているが)を味方と感じる者が多く、ターリバーンの勢力はじりじりと回復していった。
2003年のイラク戦争勃発によって世界の関心はアフガニスタンから離れていったこともあり、日本もふくめた世界の多くが知らないまま、アフガニスタンではターリバーンが国土の約半分を支配するほどになっている。2009年に登場したオバマ政権も米軍の撤退には踏み切れず、状況の悪化からかえって増派すると声明した。しかし、再選時にはアフガニスタンからの段階的撤退を公約、2014年12月にはNATOが主導する国連治安支援部隊(ISAF)が公式に任務を終了した。
米軍最長の戦争 しかし、そのかわりに「確固たる支援任務」と証する部隊を駐留させ、政府軍の支援と指導に当たることになった。NATO主導とは言え、実態はアメリカ軍で、なおも1万3000人の米兵が駐留する。ところが、トランプ大統領は、アメリカの負担を減らすこと、アメリカ兵を長期駐留から撤退させることを掲げて大統領選に当選、2020年3月にターリバーンとの講和を成立させて撤退を具体化させると表明したが、実行されないままに大統領退任となり、解決は次のバイデン政権に持ち越された。
このようにアメリカ軍はアフガニスタンからの撤退を先延ばしにするうちに、2001年から2020年まで20年経過し、今までのアメリカの関わった戦争で最も長かったベトナム戦争(一般的に1955年~1975年とされる)とほぼ同じ最長の戦争となってしまい、2021年を迎えたため、ついに「最長の戦争」となった。
アフガニスタンのガニ大統領は同日、バイデン大統領の決断を尊重すると述べた。大統領は「米軍が去ればアフガニスタンは半年ともたない」と駐留継続を求めていたが、撤退の流れは止まらなかった。米国が撤退する9月までにタリバーンとの停戦合意を結び、権力を分け合う体制を作れるかが焦点となる。しかし国土の半分を実効支配しているタリバーンはトランプ前大統領が撤退の約束を守らなかったと反発しており、政府機関への攻撃を続けている。<朝日新聞 2021/4/16 国際面ほか>
アメリカは前大統領トランプ政権の時に撤退を決め、バイデン大統領も撤退を公約し、具体的な準備を進め、9月11日までには撤退を完了させる予定だった。その後は現政権とターリバーン側の交渉が予定されていたが、ターリバーン側の攻勢が予想以上に激しくなったため、数日前から空爆を行っていたが、バイデン大統領にとっても現政権の崩壊は想像よりも早く、驚きを隠せなかったようだ。ターリバーンの首都制圧によって、アメリカ大使館員その他の外国人は一斉にチャーター機や軍用機で国外に脱出したが、アフガニスタン人で外国政府に協力していた多くの人々もターリバーンの報復を恐れ、脱出しようとして空港は大混乱に陥った。アメリカ軍の輸送機に多くの群衆がなんとか乗り込もうとして滑走中の機体にとりつこうとする悲惨が映像が流された。翌日、外国メディアの前に顕れたターリバーン広報官は、20年前のターリバーンとは違う、女性の権利も認めるし、報復のための暴力をふるうことはないと明言した。 → 朝日新聞 DIGITAL 2021/8/17
こうしてアメリカ軍完全撤退予定の9月11日の1ヶ月前に政権が倒れ、ターリバーン政権が20年ぶりに復活することになった。今後の焦点はターリバーン政権がアメリカを含む国際社会に承認されるかどうかに移った。国際社会ではイギリスなどには反ターリバーンの何らかの行動を起こすべきと言う意見はあるが、当のアメリカは静観、ロシア、中国はターリバーンを全面支持ではないが交渉相手として認めようという姿勢のようで、安定回復には時間がかかると思われる。何よりも戦場となって苦しめられたアフガニスタンの国民にこれ以上の危害が及ぶようなことのないように、内戦を停止し、新政権が開かれた、非暴力政権であることが望まれる。
アメリカは、2001年9.11以来、アフガニスタンを国際テロの温床としないために直接の軍事行動を行い、20年にわたって駐留したわけだが、ついにアメリカの(あるいは国際社会の)望むような西欧型民主国家の樹立に失敗した。同じような過ちはベトナム戦争でも犯しており、このような介入を成功させようというのはもともと無理筋であることは、世界史の他の地域でも明らかなことだ。
9.11同時多発テロへの反撃
2001年9月11日、9.11同時多発テロが起きるとアメリカ合衆国のブッシュ大統領は直ちにビン=ラーディンらアル=カーイダの犯行と断定し、その引き渡しをアフガニスタンのターリバーン政権に要求した。ターリバーン政権の拒否を見越して武力行使を準備、周辺国への根回しを開始した。また国連安全保障理事会、NATO、EUなども次々とテロへの非難決議を採択し、ロシア・中国を含む60ヵ国以上がアメリカ合衆国を支持する声明を発した。一方でブッシュ大統領は、この戦いはイスラーム教徒を相手にする十字軍の戦い「クルセード(聖戦)」と表明し、世界各地のイスラーム教徒の反発が起きたため発言を取り消したが、イスラーム圏では反米暴動が各地で起きた。アフガニスタンへの空爆
2001年10月7日、アメリカ・イギリス軍(有志連合)はインド洋の艦船から戦闘爆撃機による攻撃を開始、また潜水艦から巡航ミサイルを発射して、カーブルのターリバーン政権中枢やアル=カーイダの訓練所などの空爆を開始した。この空爆でアフガンに投下された爆弾は、第二次世界大戦中、1941年から42年のロンドン大空襲でドイツ軍が投下した爆弾の半分に相当する1万トンに達した。空爆に加えて、武器や砲弾の援助を受けた反ターリバーンの「北部同盟」が攻勢に出て、マザリシャリフ、ヘラート、首都カーブルを制圧した。アメリカ・イギリス地上部隊は最後のターリバーンの本拠カンダハール攻略に参加した。こうして戦闘2ヶ月でターリバーン政権は崩壊した。<渡辺光一『アフガニスタン』 2003 岩波新書 p.202-204>→ 現在のアフガニスタン 冷戦後のアメリカの外交政策
アフガニスタン戦争
アフガニスタンではその後、アメリカ軍の支援のもとで戦う「北部同盟」は、もともとはターリバーンの主体であるパシュトゥーン人以外のアフガン人であるタジク人やウズベキ人の部族長が寄り集まった軍閥集団で、かつてのソ連軍の侵攻の際には、パシュトゥーン人もその他の部族もゲリラ兵として協力して戦った仲間だった。アメリカ軍に支援された北部同盟は、2001年末までにターリバーン政権を首都カーブルから追い出し、権力を奪回した。これによってアフガニスタン人同士だけで戦う「アフガニスタン内戦」から、アメリカ軍・政府軍対ターリバーンという構図の「アフガニスタン戦争」に転化したと言える。また、アメリカ兵に助けられている政府軍よりもターリバーン兵(最も彼らもパキスタンやサウジアラビアの支援を受けていたと言われているが)を味方と感じる者が多く、ターリバーンの勢力はじりじりと回復していった。
2003年のイラク戦争勃発によって世界の関心はアフガニスタンから離れていったこともあり、日本もふくめた世界の多くが知らないまま、アフガニスタンではターリバーンが国土の約半分を支配するほどになっている。2009年に登場したオバマ政権も米軍の撤退には踏み切れず、状況の悪化からかえって増派すると声明した。しかし、再選時にはアフガニスタンからの段階的撤退を公約、2014年12月にはNATOが主導する国連治安支援部隊(ISAF)が公式に任務を終了した。
米軍最長の戦争 しかし、そのかわりに「確固たる支援任務」と証する部隊を駐留させ、政府軍の支援と指導に当たることになった。NATO主導とは言え、実態はアメリカ軍で、なおも1万3000人の米兵が駐留する。ところが、トランプ大統領は、アメリカの負担を減らすこと、アメリカ兵を長期駐留から撤退させることを掲げて大統領選に当選、2020年3月にターリバーンとの講和を成立させて撤退を具体化させると表明したが、実行されないままに大統領退任となり、解決は次のバイデン政権に持ち越された。
このようにアメリカ軍はアフガニスタンからの撤退を先延ばしにするうちに、2001年から2020年まで20年経過し、今までのアメリカの関わった戦争で最も長かったベトナム戦争(一般的に1955年~1975年とされる)とほぼ同じ最長の戦争となってしまい、2021年を迎えたため、ついに「最長の戦争」となった。
アメリカの最長の戦争、終結へ
2021年4月14日、アメリカのバイデン大統領はホワイトハウスで演説し、アフガニスタン駐留米軍を同時多発テロから20年となる9月11日までに完全撤退させると正式に発表した。演説はトリーティールームと呼ばれる2001年10月にブッシュ大統領がアフガニスタンへの攻撃開始を宣言した際にも使った部屋だ。バイデン大統領はアフガニスタンへの駐留はアルカイダ指導者のビンラディンを殺害したものの、4代の大統領がかかわり、多額の費用と2千人以上の米兵の命を落とた、責任を5人目に引き継ぐことは出来ないと決意を語った。これは無条件の完全撤退であるという。同日、NATOもブリンケン米国務長官などの同席した記者会見で、アメリカと歩調を合わせて撤退を表明、トランプ前大統領の時に冷え切った関係を修復したことを示した。またオーストラリア政府も駐留豪兵を撤退させることを発表した。アフガニスタンのガニ大統領は同日、バイデン大統領の決断を尊重すると述べた。大統領は「米軍が去ればアフガニスタンは半年ともたない」と駐留継続を求めていたが、撤退の流れは止まらなかった。米国が撤退する9月までにタリバーンとの停戦合意を結び、権力を分け合う体制を作れるかが焦点となる。しかし国土の半分を実効支配しているタリバーンはトランプ前大統領が撤退の約束を守らなかったと反発しており、政府機関への攻撃を続けている。<朝日新聞 2021/4/16 国際面ほか>
NewS アメリカ軍、アフガニスタンから撤退
2021年8月15日、アフガニスタンではアメリカ軍の撤退が進む中、ターリバーンが国土の大半を制圧したことを受け、ガニ大統領はカブールを脱出、事実上政権は崩壊した。代わってターリバーン武装勢力がカブールに入り、大統領府などを抑えて政権を奪回した。アメリカは前大統領トランプ政権の時に撤退を決め、バイデン大統領も撤退を公約し、具体的な準備を進め、9月11日までには撤退を完了させる予定だった。その後は現政権とターリバーン側の交渉が予定されていたが、ターリバーン側の攻勢が予想以上に激しくなったため、数日前から空爆を行っていたが、バイデン大統領にとっても現政権の崩壊は想像よりも早く、驚きを隠せなかったようだ。ターリバーンの首都制圧によって、アメリカ大使館員その他の外国人は一斉にチャーター機や軍用機で国外に脱出したが、アフガニスタン人で外国政府に協力していた多くの人々もターリバーンの報復を恐れ、脱出しようとして空港は大混乱に陥った。アメリカ軍の輸送機に多くの群衆がなんとか乗り込もうとして滑走中の機体にとりつこうとする悲惨が映像が流された。翌日、外国メディアの前に顕れたターリバーン広報官は、20年前のターリバーンとは違う、女性の権利も認めるし、報復のための暴力をふるうことはないと明言した。 → 朝日新聞 DIGITAL 2021/8/17
こうしてアメリカ軍完全撤退予定の9月11日の1ヶ月前に政権が倒れ、ターリバーン政権が20年ぶりに復活することになった。今後の焦点はターリバーン政権がアメリカを含む国際社会に承認されるかどうかに移った。国際社会ではイギリスなどには反ターリバーンの何らかの行動を起こすべきと言う意見はあるが、当のアメリカは静観、ロシア、中国はターリバーンを全面支持ではないが交渉相手として認めようという姿勢のようで、安定回復には時間がかかると思われる。何よりも戦場となって苦しめられたアフガニスタンの国民にこれ以上の危害が及ぶようなことのないように、内戦を停止し、新政権が開かれた、非暴力政権であることが望まれる。
アメリカは、2001年9.11以来、アフガニスタンを国際テロの温床としないために直接の軍事行動を行い、20年にわたって駐留したわけだが、ついにアメリカの(あるいは国際社会の)望むような西欧型民主国家の樹立に失敗した。同じような過ちはベトナム戦争でも犯しており、このような介入を成功させようというのはもともと無理筋であることは、世界史の他の地域でも明らかなことだ。
NewS アメリカ軍撤退で混乱
8月末の米軍撤退期限が迫り、国外脱出を図る外国人及びタリバンに危害を加えられることを恐れたアフガニスタン人多数がカブール空港に押しよせるなか、8月26日に自爆テロがあり、米軍18名と民間人多数が犠牲となった。空港は大混乱となり、退避作戦も大幅に遅れた。「IS(イスラム国)ホラサン州」が犯行声明を出したことをうけ、アメリカは直ちに報復、IS実行部隊を空爆したと発表したが、その際子どもを含む十数人が犠牲になった。しかし、バイデン政権は米軍の撤退作戦を予定どおり進めるとして、8月31日までに撤退を完了した。これによって、アメリカ軍が行ったアフガニスタン戦争は名実ともに終了、今後はアフガニスタンのタリバン政権が治安と安定を回復するか、女性の権利などを認めるのかが焦点になっている。しかし、タリバンの実態から、悲観的な見通しが多いのが現状であり、また今度のテロを起こしたISや、アルカイダなどの国際テロ組織を抑えることができるかも問われてくるであろう。<2021/9/1 記>