G.W.ブッシュ(子)
アメリカ合衆国第43代大統領。2001年、9.11テロに直面、対テロ戦争としてアフガニスタン侵攻を実行し、2003年にはイラク戦争を強行した。
ブッシュ(子)大統領
Episode アメリカ大統領選出のトリック
アメリカ大統領は一般投票で州ごとに複数の選挙人が選挙され、選挙人の投票で過半数を得た者が選ばれる。選挙人は州ごとの「総取り方式」で勝った方がその州の全選挙人を獲得する。そのため、一般投票の総計で多くても、選挙人による選挙で選ばれないことがあり得る。2000年選挙は民主党ゴア候補が一般投票では5099万票、共和党ブッシュ候補が5045万票で、ゴア候補が約50万票多かったが、選挙人選挙ではゴア=266人、ブッシュ=271人でブッシュ候補の勝利となった。このようなケースは過去に三回あったが、今回はフロリダ州の一般投票が僅差であり、ゴアは一部地域で票集計で誤りがあったとして再集計を要求した。州最高裁は再集計を決定したが、連邦最高裁(共和党寄りの右派が判事だった)が再集計は違憲の判決を行い、ブッシュの勝利が確定した。この1ヶ月にわたる騒動は世界中が注目し、「ブッシュは法律上正当な大統領ではない」などの声も残った。新保守主義・単独行動主義の台頭
冷戦後にアメリカ合衆国が「唯一の超大国」となったことを背景に、ブッシュ政権では新保守主義が台頭した。そのため多数派である小国主導の国際連合に反発して国際協調路線が後退し、「単独行動主義(一国主義とも言う)=ユニラテラリズム」をとるようになった。同時多発テロとアフガン戦争
就任後まもない2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易ビルやワシントンの国防省(ペンタゴン)に対する同時多発テロが発生、テロとの戦いを全面に掲げ、10月にテロの首謀者と断定したビン=ラディンの潜伏先としてターリバーン政権のアフガニスタンを攻撃した。アフガニスタンにはアメリカの支援によって新政権が樹立されたが、安定した状態を取り戻すことはできず、またイスラーム過激派による反米テロも世界各地で起こり、ブッシュ政権はテロとの戦いを続けることとなった。イラク戦争
2002年1月の一般教書演説で、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」国家と非難し、さらに同年9月20日には「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」(一般にブッシュ=ドクトリンといわれる)を発表し、テロリストとの戦いでは「先制的攻撃」が許容されるという、いわゆる先制攻撃論を明確にした。その上で、イラク共和国のサダム=フセイン政権が国際テロ組織を抱え込み、大量殺人兵器を開発しているとして、2003年3月にイラク侵攻を開始(一般にこの戦争をイラク戦争という)、サダム=フセイン政権を倒した。イラク戦争にはイギリスのブレア政権なども追随し、日本の小泉政権も自衛隊をイラクに派遣(非戦闘地域のサマワ地区に活動を限定した)したが、フセイン政権がターリバーンを匿っていることと大量殺戮兵器を隠匿している証拠は見つからなかった。イラクには新政府が樹立されたが、宗派(スンナ派とシーア派)対立、民族対立(クルド人問題)、イスラーム過激派によるテロが相次ぎ、解決のめどが立たず、2004年、ブッシュは再選を果たしたが、二期目はイラク戦争の長期化、05年のハリケーン・カトリーヌ来襲の祭の不手際で人気を落とし、06年10月の中間選挙では大統領のイラク政策に批判的な民主党が上院・下院ともに制した。
単独行動主義の傾向
ブッシュ(子)大統領時代のアメリカ外交においては国連決議を抜きに有志連合という形でイラク戦争に踏み切ったことに典型的に見られるように、国際連合と多国間協議を軽視してアメリカだけで単独で行動する、単独行動主義(ユニラテラリズム)が顕著になった。それは以前から懸案であり、国際社会から期待を寄せられていた包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准を拒否しづけたこと、2001年12月に旧ソ連との迎撃ミサイル制限条約(AMD)から一方的に離脱したことなどの安全保障に関することだけではなく、2001年3月の京都議定書からの離脱、2002年5月の国際刑事裁判所(ICC)参加への署名撤回、など人権や環境問題にも及んだ。これらは、アメリカの外交政策の長い歴史の中での孤立主義(モンロー主義)か国際協調かという二極へのブレのくり返しのうち、孤立主義に大きくブレた時期と言える。 → 9.11以後のアメリカ外交政策
リーマンショック
2008年にはサブプライム問題から急激な金融危機(リーマン=ショック)が発生し、同年11月の大統領選挙では共和党の後継者マケインが、民主党のオバマ候補に敗れ8年間の共和党政権は終わりを告げた。Episode 最後のイラク訪問、別れに靴
ブッシュ大統領は退任間近な2008年12月14日、イラクを予告なしに訪問。年末で国連安保理決議による駐留期限が切れるので、新年1月からのアメリカ軍のイラク駐留に関する協定をマリキ首相と署名した。署名後の記者会見の席上、イラク人記者が立ち上がり、アラビア語で「別れのキスだ。犬め!」、「夫を失った女性、親を失った子どもたちからの贈り物だ」などと叫びながら左右の靴を一つずつブッシュ大統領に投げつけた。とっさに身をかがめてよけた大統領は「靴のサイズは10だった」と冗談を言って余裕を見せた。<朝日新聞 2008年12月15日記事>この記者は拘束されたが、アラブ各地からは英雄視され、エジプトの富豪は娘の婿にしたいと申し出たという。