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ヘカトンピュロス

古代イラン、パルティア王国の最初の都。

 パルティアの最初の都。イラン北部の、カスピ海に近いところに建設された。パルティアは後に、シリア・イラク方面に進出し、都をティグリス川に面したクテシフォンに遷した。
(引用)アルサケス朝(パルティア)に脱ヘレニズムの傾向があらわれてくるのは、紀元前1世紀のころである。バビロニアに支配権をうちたてた時、アルサケス朝の王はギリシア人の都市セレウキアを嫌って、ティグリス川の対岸にクテシフォン(ティースフーン)をたて、軍隊を駐屯させた。パルティアにはヘカトンピュロス(「百の門柱」の意。おそらく今日のシャハレ・クンミスの遺跡であろう)とギリシア人が呼んだ首都があったが、クテシフォンが整備され堅固な城壁に囲まれるようになると、ここに首都機能が移され、紀元前1世紀の半ば、オロデス2世の時代にヘカトンピュロスは完全に放棄された。必要なくなった建物は、内部をすっかり撤去した上、ていねいに埋められた。ここからはまだ文字資料が出ていないので、当時のパルティア語名を知ることはできない。<中央公論社『世界の歴史4 オリエント世界の発展』1997 p.243>
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ノートの参照
1章1節 キ.パルティアとササン朝