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ポリビオス

前2世紀、ローマ共和政時代のギリシア人歴史家。

ポリュビオスとも表記。ギリシア人。前168年、ピドナの戦い(ローマがマケドニアを滅ぼしたマケドニア戦争の最後の戦い)でマケドニア・ギリシア軍がローマに敗れた後、人質の一人としてローマに送られた。小スキピオの家庭教師となり、第3次ポエニ戦争に従軍。ローマが強大な国家になった理由を知ろうと、ローマ史を研究し、40巻の大著『歴史』をギリシア語で書いた。その書の中で政体循環史観・混合政体論を展開している。

ギリシア人、ポリビオス

 ポリビオス(ポリュビオス)はヘレニズム末期の前200年頃、ギリシアのアカイアに生まれた。そのころギリシアは北方のアンティゴノス朝マケドニアと独立を維持していたスパルタ、ロドスなどのポリス、ペロポネソス半島のメガロポリスなどの弱小ポリスが結成したアカイア連邦などが対立、抗争していた。ポリビオスはメガロポリスの人で、アカイア連邦の騎兵隊長を努めていた。ギリシアのロドスとペルガモンがマケドニアの南進を恐れてローマに援軍を要請したことから、ローマがギリシアに介入し、ローマ軍がマケドニアを攻撃しマケドニア戦争が勃発、前168年ピドナ(ピュドナ)の戦いで敗北したマケドニアは滅亡した。ローマはアカイア連邦に対しては反ローマ派の主要人物を人質とすることを要求、ポリビオスもその中に含まれていた。こうしてローマに送られたポリビオスは、軟禁生活中にヘロドトスの『歴史』、トゥキディデスの『歴史(戦史)』などの歴史書を読みふけっていたが、偶然に執政官スキピオの知遇を得、そのギリシア語の教師となった。これがギリシア人のポリビオスがローマで活躍することになった経緯であり、その後彼はスキピオに従ってポエニ戦争に従軍し、大著『歴史』を著して歴史家として名を残すこととなった。<周藤芳幸『物語古代ギリシア人の歴史』2004 光文社新書 p.242->

Episode カルタゴの航海者ハンノの話

 ポリビオスがスキピオに従ってポエニ戦争に従軍した際、カルタゴである古い記録を発見した。それはカルタゴの航海家ハンノという人物の残した航海記で、それによれば前500年頃、ハンノの率いるカルタゴの船団がジブラルタルを超えてアフリカの西海岸に到達したことを伝えていた。このポリビオスの発見した資料は後にギリシア語に訳され、フェニキア人がアフリカ西岸に達した証拠とされている。 → フェニキア人の項参照
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ノートの参照
第1章3節 ケ.ローマの生活と文化
書籍案内

周藤芳幸『物語古代ギリシア人の歴史』
2004 光文社新書