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セレウキア

ヘレニズム三国の一つセレウコス朝シリアのセレウコス1世がメソポタミアに建設した都市。最初の都であったが、後にシリアに建設されたもう一つの都アンティオキアが建設された。前141年にパルティアに占領された。

 ヘレニズム時代のセレウコス朝シリアの首都。前305年にセレウコス1世によって首都としてティグリス川河畔に建設され、バビロンに代わってオリエントの中心都市となった。その後も東西交易の中心地として栄えたが、セレウコス1世は前300年に西方の地中海に近いアンティオキアも都としたので、セレウキアは首都の一つとなった。  セレウコス朝では、アンティオキアがシリア以西、セレウキアがメソポタミアからイランの東方を押さえる位置にあったが、東方ではバクトリアパルティアが次第に自立するようになり、セレウコス朝の中心は西方に重心が移っていった。

パルティアの侵攻

 パルティアのミトラダテス1世は本格的な南西方面への進出を図り、まずメディアを制圧した後、メソポタミアへの侵攻を開始した。セレウコス朝デメトリウス1世は、セレウキアに入り、パルティア勢を食い止めようとしたが、敗れた。前141年6月8日、ミトラダテス1世はシリア軍が撤退したセレウキアに入城、このときからセレウコス朝の東方諸国に対する宗主権は消滅した。パルティアは、ティグリス川河畔のセレウキアの対岸に、軍事基地を建設したが、それが後のパルティアの首都クテシフォンである。
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