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ヘシオドス

ギリシアの前700年頃に実在した叙事詩人。農民の立場で労働の価値と農事暦を『労働と日々』で歌い上げ、『神統記』でギリシアの神々を体系づけた。

 ヘシオドス(ヘーシオドスとも表記)は、前700年ごろの古代ギリシアで、神話や伝説上の人物ではなく、はじめて実在の明らかな個人として詩作した人である。ボイオティアの一寒村に生まれ、農民として暮らしながら、身近な農民に語りかけ、その生き方や労働上の教訓、農作業の時期などを叙事詩の形で述べた『労働と日々』、それまで混沌としていたギリシアの神々の系譜を整理し、合理的に解釈した『神統記』などを残している。ホメロスとこのヘシオドスが活躍した時期は、ギリシア文化の段階では前8~6世紀のアーカイック期にあたっており、初期ポリスの時代であり、植民活動が展開された時代であった。
初期ポリス社会を映し出す ヘシオドスの生きた前700年頃は、ポリス(都市国家)において、貴族が権力を握っていた時期にあたるが、『労働と日々』はそのもとでの中小農民の典型的な姿を描いているものと思われる。その言葉の中には、貴族政のもとで貴族の不正な裁判や賄賂などを批判するものが見られ、次第に農民(平民)が貴族に代わってポリスの民主政を実現していく過程を反映しているとも考えられる。<太田秀道『スパルタとアテネ』1970 岩波新書 p.61 などによる>

ヘシオドスの著作

 ギリシアには、すでに叙事詩人としてホメロスがいて、『イリアス』『オデュッセイア』が最古の叙事詩として人びとに知られているが、ホメロスは伝説的な存在であり、その詩も職業的な口承詩人(古代ギリシアではアイオドスといわれた)によって伝えられたものであった。ヘシオドスも、口承詩人としての訓練を受け、自らも口承詩人であると言っている。しかし、彼は自ら農耕に従事した農民でもあった。彼が伝えた詩は、ホメロス流の英雄が活躍する物語ではなく、現実の社会であった。
『労働と日々』 とくにその作品『労働と日々』(仕事と日)は、無頼の徒であった弟ペルセスに、働くことの尊さ、楽しさを説き、種まきや刈り取りの時期などを教えることが詩作の動機であったのであり、叙事詩と言うより、訓戒の書であり、実用的な農事手引き書でもあった。そのことばは口承によって伝えられるようにリズミカルで流れるようであるが、その内容は前700年頃の初期ポリス社会の現実を映しだしている。<久保正彰『ギリシア思想の素地―ヘシオドスと叙事詩―』1973 岩波新書 などによる> → 参考 今読むヘシオドス
『神統記』 ヘシオドスには、ギリシアの神々の系譜を記した『神統記』(『神々の誕生』と訳される場合もある)という作品もある。『神統記』では、それまでの複雑あるいは乱雑であったギリシアの神々を、系統的な秩序にまとめ上げ、オリンポスの神々の信仰を確立した叙事詩とされている。

労働と日々

ヘシオドスの代表作である叙事詩。農耕を通じて勤労の貴さや楽しさを詠い、農作業の実際の手引きとなる経験を教え、正義と平和を説いている。

 古代ギリシアの詩人ヘシオドスの作品。「仕事と日々」あるいは「仕事と日」などともいうが正しくは「農事と暦」という意味。教科書、用語集では『労働と日々』という名称が流布しているが、岩波文庫の松平千秋訳は『仕事と日』で、副題を「――農事暦と日の吉凶――」としている。
 その詩作の契機は、自らも農民であったヘシオドスが、兄弟のペルセスが怠け者で、遊興にふける生活をしていたので、農業の尊さと楽しさ、苦しいけれども実りも多いことを教えようとしたことにあった。彼はこの詩で「労働は恥ではない、怠惰こそ恥だ」と言っている。その上で、正義と平和のあり方を説き、農事暦に基づいた農耕の手順、航海の技法などを詳細に述べている。また、前8~前7世紀の初期ポリス社会の貴族政のもとでの貴族の不正にの鋭い目を向け、ポリス社会を批判した内容となっている。
 また、『労働と日々』の中には、現在に通じるようなユニークな指摘が幾つか見られるので、その代表的なことを紹介しておこう。

Episode プロメテウスと「パンドラの箱」

 ゼウスは「人間どもに苛酷な苦悩を与えるべく思案の末に、火を隠してしまわれた」が、奸智に長けたプロメテウスはその日を盗み出して人間に与えてしまった。怒ったゼウスは、鍛冶の神ヘパイストスに命じて土と水をこねて女の人形を作らせ、工芸の女神アテネに命じて機織りの技術を教えさせ、愛の女神アフロディテに命じて色恋の技を、ヘルメスに命じて人を欺く性根を植え付けさせた。神々はこうして生まれた女にあらゆる贈り物を彼女に与えたので、彼女の名前はパンドラ(あらゆる贈り物を持つ女、の意味)と呼ばれた。パンドラが人間の間に現れると、神々が人間に復讐することを恐れたプロメテウスは弟のエピメテウスに、神々からの贈り物は受け取るな、後ろ手に投げ捨てろ忠告したが、エピメテウスは忠告を忘れて受け取ってしまった。パンドラが贈り物の箱(ヘシオドスは壺と言っている)の蓋を開けたため、あらゆる人間の不幸、病気がまき散らされてしまった。そして「期待」(エルピス、希望とも訳す)だけは壺の蓋が閉じられたため、外に飛び出すことができなかった。<ヘーシオドス/松平千秋訳『仕事と日』岩波文庫 p.16-23 要約は久保正彰『ギリシア思想の素地―ヘシオドスと叙事詩―』1973 岩波新書を参照>

Episode ヘシオドスの語る五時代

 ヘシオドスは『労働と日々』の中で、大地(ガイア)には、神々から人間にいたる間に、黄金、白銀、青銅、英雄、鉄という5つの種族が次々と現れたとして、それぞれの世代の特徴を述べてている。
黄金時代 最初の人間たちの世代である黄金の時代、人びとは神々のように、煩わしさを知らず、苦労も心身の痛みも知らず、あわれな老いの悲しみにもさいなまれることはなかった。生は喜びに満ち、死も眠りと変わることなく、麦畑はありあまる稔りをもたらし、人びとは仕事を分かち合い、かずかずの幸いをわかちあった。
白銀の時代 黄金の世とくらべようもなく堕落している。人間の姿も心ばえも劣り、人は百年間も巨大な赤児の姿で母親の世話をうけている。しかも成年に達するやいなや、すぐに死ぬ。愚かさ故に互いに容赦なく犯しあった。神々を祀らぬ人間に怒ったゼウスは、人間どもを一掃してしまった。
青銅の時代 第三の世代、青銅の人間は、とねりこの木から生まれた恐ろしい、荒々しい者たちであった。彼らは戦神アレースに心を向け、穀物を食することもなく、青銅の物の具を身につけ、青銅の家に住み、青銅の道具を使った。かれらはおのが手もとに打ち倒され、冥府の青さびた屋形へと降りていった。
英雄の時代 それまでの人間より正しい道をわきまえ、よりすぐれた力を持つ英雄たちは、神のような種族であって半神たちとも呼ばれ、今の人間たちがこの大地に住む以前に栄えた。
鉄の時代 「これからの人間はもう鉄の時代だ。陽のあるかぎり、苦労をまぬがれず、夜の一刻も悲嘆をわすれえず、衰滅の道を歩むにちがいない。神々のもとからは手に負えぬ心痛がやってくる。・・・正義は力にありとする輩で、互いにその国を侵すことになるであろう。」<ヘーシオドス/松平千秋訳『仕事と日』岩波文庫 p.24-34> → 参考 今読むヘシオドス

『労働と日々』からの抜粋

・正義
 ペルセースよ、お前は「正義」(ディケー)の声に耳を傾け、暴力をふるうごときことは、あってはならぬぞ。p.36
 正義はついには暴力に勝つ、愚か者は痛い目に遭ってはじめてそれを悟るのだ。p.37
 異国の者にも同国の者にも、分けへだてなく、正しい裁きを下し、正義の道を踏み外さぬ者たちの国は栄え、その国の民も花開くごとくさきわうものじゃ。p.38
 国土には若者を育てる「平和」の気が満ち、遥かにみはるかすゼウスも、この国には、苦難に満ちた戦争を起こさせようとは決してなさらぬ。p.38
・労働の尊さ
 労働は決して恥ではない、働かぬことこそ恥なのだ。p.48
 財貨はむりやりに掴みとるべきものではない、神の授けられたものが、遥かに良い。p.49
 お前の胸の内に、富を望む心があるならば、これからわしの説くようにせよ、労働に次ぐ労働をもってして、弛みなく働くのだ。p.56
<以下、農事暦に従ったアドバイスが続く>
・航海について
 さて、その時が到来したならば、脚速き船を海におろし、儲けを家に持ち帰れるよう、しかるべき荷を船に積め――p.83
 まさにわが父、そして世にも愚かなペルセースよ、お前にも父なる人が、良き暮らしを求めて、いく度も船で海を渡っておられたようにじゃ。p.84
・人生訓いくつか
 しかるべき年頃で嫁を迎えて家に入れよ。嫁をもらう年は三十にあまり足らぬのもよろしからず、それをあまり越えてもならぬ。それが結婚の適齢じゃ。p.91
 良妻に勝るもらいものはなく、悪妻を凌ぐほどの恐るべき災厄もない。食い意地が張り、いかに頑健な夫でも、火も使わずに焼き焦し、早々と老いこませてしまうような嫁のことじゃ。p.91
 陽に向かい、立ったままで放尿してはならぬ。p.95
・日の吉凶
 人は思い思いに、あれこれの日を吉日と呼ぶが、真実を知るものは少ない。これらの日は、ある時は継母に、ある時は実の母となる。p.105
 これらの日々についてすべてを弁え、神々に対して罪を犯さず、鳥の示す前兆を判じ、人の道に違うことなく、仕事に励む者は、恵まれた仕合わせ者じゃ。p.105
<ヘーシオドス/松平千秋訳『仕事と日』岩波文庫 p.24-34>

参考 今読むヘシオドス

 ヘシオドスの『労働と日々(仕事と日)』は古代ギリシアの叙事詩ということで、われわれにはとっつきにくいが、久保正彰氏の『ギリシア思想の素地』の丁寧に説明と併せて読んでいくと判りやすい。そして、ヘシオドスの詩には、「プロメテウスと火」の話や、「パンドラの箱」としてよく知られた話が含まれており、それらは現代に通じる警句を含んでいる。
※今読むヘシオドス(1) プロメテウスの火 ヘシオドスは人間の歴史を「進歩」だけと見る楽天家ではなかった。その歴史観を示す「人類の五時代区分説」の最後に現れる「鉄の時代」が、2017年の今、いよいよ最終段階を迎えるのではないかという恐れを抱かざるをえない。プロメテウスが盗み出した火は、ついに原子力という、はたして人間がコントロールできるのか疑われるエネルギーへと「発展」してしまった。そして、「鉄の時代」の「文明」は二度の世界戦争を経験し、核兵器が使用され、さらに3.11を実体験したにもかかわらず、「核抑止論」や「核武装論」を臆面もなく論じる政治家も現れ、原発再稼働が進められている。ヘシオドスの言う「正義は力にありとする輩」が横行し、世論もその煽動に動かされかねない恐れが現実のものとなろうとしている。<2017年9月22日記>
※今読むヘシオドス(2) パンドラの箱 明日2017年10月22日は、衆議院総選挙の投票日。1ヶ月前に、小池百合子さんが登場したとき、脱原発はいいとして、この女性はパンドラでなければいいが、と思った。ヘシオドスによると、パンドラはゼウスが高慢な人間を懲らしめるために作り、人間界に遣わした、色恋の技と人を欺く性根をもった女である。危ないな、と思っていたら、民進党が小池新党に合流する騒ぎとなり、やはりパンドラの役目を発揮してしまった。
 ところで、小池百合子さんが作った政党が『希望の党』であるというのを聞いて、思わず笑ってしまった。パンドラがこの世に持ってきた開けてはならぬと言う箱を、間抜けなエピメテウスが開けてしまって、病気や争いや貧困など、この世のあらゆる争いが飛びだしてしまったのだが、最後に希望(期待)だけが出てこずに、閉じ込められてしまったのだ。小池さんはこの話を知らなかったはずはないだろうが、自分がパンドラだとは思わなかったのでしょう。はたして希望は箱から抜け出すことができるだろうか。<2017年10月21日記>
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ノートの参照
1章2節 コ.ギリシアの生活と文化
書籍案内

ヘーシオドス/松平千秋訳
『仕事と日』
1986 岩波文庫
久保正彰
『ギリシァ思想の素地―ヘシオドスと叙事詩』
1973年 岩波新書