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ギリシア演劇

アテネを中心とした古代ギリシアの芸能の一つ。

古代ギリシアで演劇が盛んであった事情については、次の手短な説明がわかりやすいので引用する。
(引用)「紀元前5世紀のアテネには、アイスキュロスソフォクレスエウリピデスの三大悲劇詩人と喜劇のアリストファネスがでて、ギリシア演劇を完成した。彼らの作品はディオニュソス神の祭典での競演のために創作され、市民のあいだから選挙と抽選の二重の手続きで選ばれた審判員の秘密投票で優劣の順位が決められた。ギリシア劇には役者のほかに大勢の歌舞、合唱の隊員が必要であるが、この隊員や役者の衣装の調整、練習期間の給養という金のかかる仕事(合唱隊奉仕)には、富裕市民が輪番で奉仕した。芝居見物が市民にとっての最大の娯楽であるとともに一般教養を高める機会であったことは、たとえば喜劇が言論の自由に恵まれておこなった辛辣な政治批評や人物評論を一考すればたりよう。かような娯楽をすべての市民にわかちあたえるために、アテネ当局(ペリクレス)は観劇入場料(テオリコン)を市民の誰にでも支給するという文化政策を始めた。その主旨は立派だったが、のちにはこれから、市民大衆のあいだに国家による享楽という悪い傾向が生まれてくる。」<村川堅太郎ほか『ギリシア・ローマの盛衰』1997 講談社学術文庫 p.103>

Episode ディオニュソス祭

古代アテネの国家的な祭りの一つで毎年3月に行われたディオニュソス神をまつる祭り。正式には大ディオニュシア祭という。民主政治が最も盛んであった前5世紀のペルシア戦争の後の時期に最も盛んになった。ディオニュソス神は別名バッカスともいう酒の神であるが、同時に演劇の神でもあり、4日間の祭りの期間に、まず3日間は一日に一人の悲劇作者が三本の悲劇と1本の滑稽劇を上演し、残りの1日で一人の悲劇作者が1本ずつ5人分が上演された。これらは競演の形をとり、それぞれ優劣が決められた。
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第1章2節 コ.ギリシアの生活と文化