印刷 | 通常画面に戻る |

キリスト教迫害

ローマ帝国によるキリスト教の弾圧。

ローマ帝国領内に広がったキリスト教に対し、ローマ帝国は他の宗教と同じように寛容であり、はじめはそれ自体を禁止することはなかった。しかし、キリスト教徒がローマ法を守らない(ローマの神々への供え物を拒否するなど)場合は罰せられた。また庶民の間にも、キリスト教徒は「人肉食をしている」などの誤解(聖餐式というキリストの血と肉を象徴するブドウ酒とパンを信者が食べる儀式ご誤解された)されたり、奴隷も同じ信者として同席して会合していることを社会秩序を乱すことと恐れられたりするようになり、危険な宗教とみられるようになった。ローマ帝国を通じ、迫害が続いたわけではなく、何度かの迫害の時期と、容認される時期があった。大きな迫害として知られているのが、1世紀のネロ帝の迫害の時と、4世紀のディオクレティアヌス帝の迫害の時である。帝政後期には、皇帝崇拝が強要されるようになり、キリストのみを信仰するキリスト教徒はそれを拒否し、激しい迫害を受け、殉教するものも多くなった。このような迫害にもかかわらず、キリスト教徒はローマ領内の下層民を中心に、カタコンベに隠れて信仰を守り、下層民を中心に広がっていった。ようやく313年にコンスタンティヌス帝のミラノ勅令によってキリスト教が公認され、ローマ帝国による迫害は終わり、ついに392年にテオドシウス帝によってキリスト教の国教化が行われるに至る。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第1章3節 ク.迫害から国教化へ