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キリスト教の国教化

392年、ローマ帝国のテオドシウス帝が行った、アタナシウス派キリスト教以外の宗派、宗教を浸漬する措置。

 ローマ帝国は、313年にキリスト教の公認に踏み切ったが、当時はその教義はまだ定まっておらずにさまざまな解釈が存在し、また、帝国領内にはマニ教ミトラ教などの異教の信仰も盛んであり、さらに古来のローマの神々への偶像崇拝や伝統的な儀礼も残っていたので、帝国の宗教統制上、かえって混乱が生じてきた。
 そこで皇帝テオドシウス帝は、381年に開催された第1コンスタンティノープル公会議において、最終的にアタナシウス派三位一体説キリスト教正統として確定した。
 さらに、392年、テオドシウス帝は、アタナシウス派キリスト教以外の異教の祭礼と供犠を法的に禁止した。この勅令によって、アタナシウス派キリスト教はローマの唯一の宗教、つまり国教とされたのである。それまでの伝統的なローマの神々や、ミトラ教の太陽神信仰などは禁止されることとなった。

オリンピア競技会の終わり

 キリスト教国教化に伴い、393年にローマ領内のギリシアで、ゼウスを主神とするオリンポス十二神の祭礼が行なわれると、神殿の財産を没収して異教禁圧への断固とした姿勢を示した。これに伴いギリシアの古代オリンピア競技会も終わりを告げた。
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ノートの参照
第1章3節 ク.迫害から国教化へ