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陳朝(ベトナム)

13世紀に成立したベトナムの王朝で、元のフビライの侵攻を撃退した。

 ベトナム人の自立した王朝として重要。ベトナムの歴史では特にその北部は長い間中国の支配を受けていたが、10世紀末に大越国李朝が初めて自立した。その李朝の外戚であった陳氏が王位を奪って1225年に建てた王朝が陳朝である。中国からは安南国と言われる。13世紀にはモンゴルの三度にわたる侵攻と戦い、独自のベトナム文化を創り上げた。

モンゴル遠征軍を撃退

 まず1258年、モンゴル帝国のモンケ=ハンの時に侵攻を受け、いったんは服属したが、その後もたびたび反旗をひるがえした。ついでフビライ=ハンは一連の遠征活動の一環としてベトナムへの遠征を実行した。それは陳朝が中部ベトナムのチャンパー遠征への出兵協力を拒否したことへの報復という口実を設けていた。陳朝は激しく抵抗し、一次元軍を撃退したが、1289年に再び攻撃を受け、最終的には服属した。しかし一時的にではあれ、元軍を撃退したのは、封建領主層とその私兵集団を主体としたちからであったので、日本の鎌倉幕府と似ているといえる。

ベトナム民族意識の高まり

 元に対する闘いの中から次第に民族意識を強め、その後、中部・南部ベトナムのチャンパーに対する攻勢を強めて、その領土を広げていった。そのような民族意識が高まりの中で、ベトナム独自の文字である字喃(チュノム)を考案した。またベトナムの歴史書である『大越史記』(漢文で記されている)が編纂された。

内乱と明の干渉

 14世紀には豪族が台頭して衰退し、王が宰相に暗殺されてしまった。実権を握った宰相は胡氏を名乗り、1400年に胡朝を開いた。(ちょうど日本の南北朝の内乱の時期に当たる)この内紛に乗じて1406年に明の永楽帝のベトナム遠征が行われ、翌年胡朝は滅び、陳朝が一時復活する。間もなく明はベトナムを直轄支配するが、反明の戦いに決起した黎利が独立を回復し1428年に黎朝を成立させる。