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大越国

1009年に中国から独立したベトナム人の国家の国号。ほぼベトナム北部を支配し、王朝は李朝、陳朝、胡朝など交替した後、永楽帝の時、明に服属する。1428年、独立を回復して黎朝が成立。16世紀には有力武将が分立して衰えた。阮福映が西山朝を1802年に滅ぼし、大越国の国号は終わった。なお、1804年に国号は越南国となった。

 ベトナムの北部では漢の武帝の征討を受けて南越(中国南部の広東省からベトナム北部を支配)が滅亡して以来、中国王朝のベトナム支配が続き、唐代には安南都護府が置かれたが、唐末五代十国の混乱期を経て、ようやくベトナム人の中に独立の機運が出てきた。966年、丁部領が独立を達成、大瞿越(ダイクヮックヴィェト)を建国した(丁朝)。

李朝=大越国の成立

 丁朝と次の黎朝(前黎朝)は短命に終わったが、李公蘊が1009年に建てた李朝(リー朝)は、1054年以降国号を大越国(ダイベト、ダイヴィエト国)とし、ベトナム最初の長期権力となった。都は昇竜(タイロン、後のハノイ)に置かれた。李朝は1225年まで続く。その間、李朝では中国の諸制度を取り入れ、儒教・仏教・道教が保護された。

陳朝から胡朝へ

 1225年から陳朝(チャン朝)に交替し、その時代1258年に元のフビライ軍の侵攻を受けて粘り強く抵抗したが、最終的には服属(安南国と言われる)した。また南方のチャンパーとも戦い、民族意識が高まって字喃(チュノム)が考案された。1400年には胡朝(ホー朝)に代わったが、1406年、明の永楽帝の征服を受け、ベトナムは再び中国の支配を受けるようになり、1428年に黎利が明からの独立を勝ち取り、黎朝を起こすまで明の支配が続く。

黎朝から西山朝へ

 黎朝は1471中部ベトナムのチャンパーをほろぼしその支配を中部から南部に及ぼした。しかし16世紀中頃から、莫氏鄭氏など有力武将が台頭し、一種の戦国時代となり、17世紀には北部の鄭氏、南部の阮氏が争う長期の内乱状態に陥った。中部のフエには阮氏の独立政権広南国が成立した。1771年には民衆反乱の西山党の乱が起こり、一時西山朝が成立、この政権も大越国を称した。

大越国から越南国へ

 しかし、1802年に阮福暎が西山朝を滅ぼし、大越国の国号は終わりを告げた。ベトナムを統一した阮福映は1804年、国号を越南国に改め、阮朝を創始した。