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焚書・坑儒

中国の秦の始皇帝が行ったとされる思想統制策。

始皇帝に登用された法家李斯は丞相(大臣)に上りつめ、前213年、儒家の書物を焼き払い、拒否する儒家は死刑にすることを提案した。李斯の儒家弾圧の根拠は、儒家は過去の時代を理想化し、現代を批判して人々を惑わしていること、皇帝の出す法令に批判を加え、その権威をあやうくしていること、にあった。始皇帝はその建言を入れ、焚書令を発し、いわゆる五経や論語など、儒家の書物を提出させ、焼き払った(焚書)。翌年は儒者の中に皇帝を誹謗するものがいたという理由で、首都咸陽にいた儒者すべての460余人が生き埋めにされた(坑儒)。坑儒の坑は生き埋めにすること。この史実は、漢の時代に儒教が官学となってからの歴史書(司馬遷の『史記』)に書かれていることなので、誇張があるかも知れない。法家の思想に基づき法律の力で国家を統治する必要があると考えた始皇帝にとって儒家の仁義孝悌の思想や「徳治主義」という統治者論は許せないものであったことは確かであろう。
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第2章3節 カ.秦の統一