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太陰太陽暦

太陰暦と太陽暦を総合して調整した暦法。

 月の満ち欠け(朔望月)によって日数を算える暦法が太陰暦であり、季節循環を1年(太陽年)とするのが太陽暦であるが、太陰暦による日数の数え方を太陽年の1年にあわせた暦法が太陰太陽暦である。太陽太陰暦ともいい、太陰暦の1年と太陽暦の1年の差を、閏年・閏月を入れることで解消するものであった。古代オリエントや中国で用いられていたのは実際にはこの太陰太陽暦である。このいわゆる太陰暦は中国で長く用いられ、漢王朝以来、各王朝は権力の証として暦を編制した。元ではイスラーム暦の暦法が伝えられて、郭守敬が授時暦を作成、それは明代に一部修正されて大統暦としてなった。明末に宣教師のアダム=シャールとともに徐光啓が西洋暦法を学んで『崇禎暦書』を表し、それに基づいた改訂が清の時憲暦である。日本も中国の暦法を準用していたが、江戸時代に渋川春海が授時暦をも都にした貞享暦を作成して、それが採用されたのが日本独自の暦の始まりであった。1972年(明治5年)に西洋で用いられていた太陽暦(グレゴリウス暦)に切り替えた。以後、太陰太陽暦による暦法は「旧暦」と言われるようになったが、伝統的行事は旧暦の日付で行われることも多い。

補足

 太陰暦では、朔望月の長さの平均は29.53日であるので、29日の一月(これを小の月という)と30日の一月(これを大の月という)の六回を交互におくと354日となる。これだと太陽年(季節周期)約365日と1年で11日のズレが生じる。そこで太陰太陽暦では、ほぼ3年に一度、閏月を入れる(その年は13ヶ月となる)ことでズレを解消する。閏月を入れる年を閏年というが、春秋時代の中国で、19太陽年がほとんど235朔望月に等しいことがわかり、19年間に7回閏月を入れる閏年をおくようになった。この「十九年七閏の法」はアテネの学者メトンが前五世紀に発見したメトン法に当たるものである。<広瀬秀雄『暦』日本史小百科 1978 近藤出版社 p.12 /同『年・月・日の天文学』1973 中央公論社・自然選書 などによる>