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貞観の治

中国の唐王朝の太宗の治世。

の第2代皇帝として、626年に即位した太宗(李世民、廟号を太宗)は、翌年貞観と改元した。それ以後649年に至る太宗の統治を「貞観の治」という。太宗は、隋末の混乱以来残存していた各地の勢力を次々と破って統一を完成し、突厥、西域諸国などを服属させ、唐王朝の基礎を築いた。太宗は、房玄齢や杜如晦などの宰相をブレーンとして、貞観律令の制定など、安定した政治を行ったが、太宗とその臣下の問答を記録した『貞観政要』は、その後の各王朝でも参照され、日本でも平安時代から権力者(源頼朝や徳川家康)によって愛読され、刊行された。この7世紀前半の貞観の治は、8世紀前半の開元の治と並び、唐王朝が安定した時代とされる。
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第3章2節 ア.隋の統一と唐の隆盛