印刷 | 通常画面に戻る |

羈縻政策

唐などの中国王朝が採った、特に北方遊牧民系の異民族に対して採用した統治策。一定程度現地の支配者の統治権を認めること。

 中国の各王朝が、周辺の異民族に対してとった懐柔策である。羈縻(きび)とは、馬や牛をつなぎ止めておくこと。特に唐王朝はその支配領域に多くの異民族を組み入れたが、それらを治めるために、六都護府を置き、中央から官吏を派遣した。その長官と付属の軍隊は中央から派遣したが、その下においた都督府、刺史には異民族の族長を任命した。
 隋と唐の時代には、北方に有力な遊牧帝国として突厥があったが、583年に東西に分裂、そのうちの東突厥が唐の太宗に服属したとき、太宗に対して天可汗の称号を贈った。これは太宗が遊牧民世界の君主であることを認めたことを意味し、それ以来唐王朝の皇帝が北方遊牧民に対する統治権が承認された。唐は征服した北方民族居住地に都護府を置いて羈縻政策で治めることにした。 → 冊封体制  世界帝国