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活字印刷術

北宋の11世紀前半に、畢昇が土製の活字を考案、後に木製になり、朝鮮の高麗で金属活字が生まれ、た。

 版木に文章を彫る木版印刷に対し、文字を一個ずつ印形にして組み合わせる印刷術。11世紀の半ば、宋代(北宋)の慶暦年間、1034~1038年のあいだにに畢昇(ひっしょう)という工人が活字印刷を発明したといわれている。この活字は土を固めたもので、鉄板の上に蝋を流し、その上に活字を並べ、上から紙をあてて印刷した。やがて木活字がつくられ、1221年には木活字で科挙受験用の百科辞書が作られている。 → 宋代の文化 三大発明
朝鮮の金属活字 13世紀はじめには朝鮮の高麗金属活字(銅)が使用されるようになったが、それで印刷された刊本は現存していない。1390年、朝鮮王朝(李朝)の第三代太宗は青銅で活字を作ることを命じており、銅活字が初めて用いられたのは1403年である。グーテンベルクの活版印刷に先立つこと30年の1409年に、朝鮮では銅活字による印刷物が作られている。

西方への活字印刷術の伝播が遅れた理由

 印刷術は製紙法の伝播と違い、すぐには西方に伝わらなかった。それは中国に来ていたイスラーム教徒には、コーランを印刷することは神を冒涜することと思われていたためである。ようやく、モンゴルが中国を支配した13世紀になって、直接に元時代の中国にやってくるようになったヨーロッパの商人や宣教師によって、中国では紙幣を印刷していることが知られ、14世紀の末にイタリアで印刷業が起こった。中国では漢字の性格上、木版印刷が盛んであったが、文字数の少ないアルファベットを使用するヨーロッパでは活字印刷が急速に普及した。<藪内清『中国の科学文明』岩波新書p.114-118>  → ヨーロッパの活版印刷術
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ノートの参照
第6章2節 オ.宋代の文化
書籍案内

藪内清
『中国の科学文明』
1970年 岩波新書