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活版印刷術

活字による印刷術。15世紀にグーテンベルクが実用化し、急速に広がり、文化の様相を一変させた。

 活版印刷とは、活字とインク、それに紙、そして活字に付いたインクをうまく紙に刷る印刷機、の4つの条件が必要であるが、それらの条件のそろった活版印刷は15世紀にヨーロッパで始まった。中国では木版印刷はすでに唐の時代に始まり、宋代に普及していたし、ローマでも金属に文字を刻んで布にすることが行われていたが、それらは活版印刷とは言えない。11世紀の宋の時代に活字印刷が始まったとされるが、材料は金属ではなかった。また、この技術は西欧には伝わらなかった。13世紀の高麗で本格的な金属活字が作られたが、それは大蔵経という経典を作るためのもので一般的な書物の発行のための活版印刷としては進歩しなかった。

グーテンベルクの発明

 金属製の活字を作り、枠に収めてインクをつけて紙に印刷するという活版印刷を始めたのは、一般にルネサンス期のドイツのグーテンベルクといわれている。それは1440年ごろと言われているが、正確な時期や彼の素性などは解っていない。グーテンベルクは最初の発明でなかったかも知れないが、彼が改良した印刷機は大量な印刷を可能に、彼自身も印刷所を最初に経営しているので、活版印刷の創始者の栄誉を担っていると言っていいだろう。

活版印刷術の意義

 活版印刷術の発明は、ルネサンスの三大発明の一つとされるように、文化史上の重要な出来事であったが、それに留まらず、この技術を使って出版された新約聖書の普及はルターの宗教改革を支えた最大の武器であった。それまで修道院の聖職者によって書写されていたラテン語の聖書が、ドイツ語され、安価な価格で民衆も読めるようになったのだった。またルターは自分の著作を印刷することによって、その主張を民衆に広げることに成功した。
 活版印刷はその後急速に普及し、出版・新聞などの普及をもたらす大きな「情報革命」となった。近代文明は活版印刷によってもたらされたと言っても過言ではない。ところが、20世紀末に急速に普及したコンピューターとインターネットによって、情報媒体として活字利用が後退し、人類は第二の「情報革命」に突入している。

参考 活版印刷術の日本への渡来

 1579年にゴアのインド総督から日本に派遣された巡察使ヴァリニャーノは、日本での布教の推進のために、セミナリオ(教会学校)とコレジオ(宣教師育成のための新学校)の建設を目指し、そこで必要な書物を印刷するために必要なグーテンベルク式の活版印刷機を始めて日本にもたらした。この印刷所で日本最初の甲板印刷本が三十数種出されており、世界の稀覯(きこう)本となっており、日本の書物と出版の歴史に大きく貢献している。しかし、カブラルら日本に先着していた宣教師たちは、ヴァリニャーノのやりかたは日本の実情に合わない無駄遣いだと批判的であったため、印刷所は財政難を理由に閉鎖されてしまう。そのまま存続していても江戸幕府の禁教令によって破壊されたであろう。天草の河内浦にある天草コレジョ館にはこの日本最初の活版印刷機が復元されている。ヴァリニャーノは天正遣欧使節をローマ教皇のもとに派遣することを計画、実行した人物である。<若桑みどり『クワトロ・ラガッツィ』上 2003 集英社文庫>
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ノートの参照
8章2節 ウ.科学と技術