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モンケ=ハン

モンゴル帝国第4代ハン。弟のフビライを南方、弟フラグを西アジアに派遣した。

 モンゴル帝国第4代ハン。廟号は憲宗(在位1251~59年)。チンギス=ハンの末子トゥルイの子。オゴタイ=ハンの時、バトゥの西征に加わる。第3代グユク=ハンが死んだとき、バトゥの支持を受けてハンに即位し、オゴタイ=ハンとチャガタイ=ハンの子たちを処刑、追放に処し、権力を握った。弟フビライをチベットから雲南地方、ベトナムに進撃させて南宋の南方を抑え、さらに弟フラグを西アジアに派遣して、イランを制圧させ、バクダードを陥落させた。最後に自ら南宋遠征軍を指揮して南下したが、1259年、四川で病没した。モンケ=ハンはカラコルムにおいて、フランスからやって来たルブルックに面談している。

Episode モンケ=ハンの人物像

 モンケは、即位したときすでに44歳。その人物評には次のようなものがある。
(引用)彼は、数カ国語を自在に話し、ユークリッド幾何学をはじめ東西の学術・文化に通じていた。東では父トゥルイの三峯山の決戦にも従軍し、西ではカフカズにも分け入った。識見・能力にあふれ、実力・実績・名望・血筋のどれをとっても文句のないプリンス中のプリンスであった。人類史上でも、彼ほど生まれながらに期待され、帝王となるべく宿命づけられ、しかも現実にユーラシアの東西にまたがる実地体験を踏まえた正真正銘の実力を、個人としても権力者としても、どちらも具えている人物はほとんど見あたらない。・・・・モンケは、無条件に有能であった。むしろ、人の上に立つには、すべてにわたって彼個人が有能すぎることが、彼の悲劇の遠因となった。・・・モンケは、おそるべき専制君主であることを、即位の初めから見せつけた。彼の狙いは、チンギス他界以後のもつれた糸を断ち切り、ゆるみきった帝国の統制を回復することであった。しかし、あまりにも果断、極端すぎた。帝国の不安定要素は、かえって増幅されたまま、強権者モンケのもとで潜在化した。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』上 講談社現代新書 p.98-100>
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第6章3節 ア.モンゴルの大帝国
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杉山正明『モンゴル帝国の興亡』上 講談社現代新書