印刷 | 通常画面に戻る |

ピピンの寄進

756年、フランク国王ピピンがラヴェンナ地方などをローマ教皇に寄進したこと。これによってローマ教皇領が成立し、教会国家の基盤が築かれた。

ピピン、ランゴバルド王国を攻撃。

 北イタリアを支配していたゲルマン人のランゴバルド王国は、751年にビザンツ帝国領のラヴェンナを攻撃した。ラヴェンナ総督はその地を放棄したためランゴバルド王国はその周辺のローマ教皇支配地を含めて併合した。さらにイタリア半島統一をめざしてローマに迫った。ローマ教皇(ステファヌス2世)は、フランク王国カロリング朝の国王ピピンに救援を要請、ピピンは754年、モン=スニ峠を越えてイタリアに入り、ランゴバルド王国の首都パヴィアを包囲した。ランゴバルド王アイストゥルフは一端、ラヴェンナなどの教皇への返還に同意したが、フランク軍が撤退すると約束を違え、ローマを攻撃した。救援の要請を受けたピピンは756年、再びランゴバルドに攻め入った。この二度の武力行使により、ランゴバルド王はついに屈し、同年1月ラヴェンナとその周辺を放棄した。

ピピン、ラヴェンナをローマ教皇に寄進。

756年、ピピンはただちに大軍を率いてアルプスを超え、ランゴバルド王国から奪ったラヴェンナ地方とその周辺をローマ教皇に寄進した。ラヴェンナはイタリアの中部、アドリア海に面した地域で、かつて一時はローマ帝国・東ローマ帝国の都でもあったところで、ランゴバルド王国に征服される前はビザンツ帝国の総督が納めていた。

「ピピンの寄進」の歴史的意義。

 この寄進を受けることによって、ローマ教皇領が成立し、ローマ教皇はその後中部イタリアに領土を広げて、一定の領域を支配する教会国家の政治権力となっていく。中世ヨーロッパにいて大きな政治権力となったローマ教皇の教会国家の成立をもたらすという結果となった。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
5章1節 エ.ローマ=カトリック教会の成立