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金印勅書

1356年、カール4世の時に出された、神聖ローマ皇帝位の選出の原則を定めた法。黄金勅書。

1356年、神聖ローマ皇帝カール4世の時に定められた、神聖ローマ帝国の帝国基本法である。従来も神聖ローマ皇帝(ドイツ王)は諸侯によって選出されていたが、その選出でしばしば紛争が生じ、とくに大空位時代のようにドイツ以外から選ばれたり、皇帝が選出できなかったりという異常事態が続いていた。ベーメン王から皇帝に選出されたカール4世は国王選挙手続きを成文化して混乱を避け、その権威を安定させる必要に迫られた。そこで、1355年のフランクフルトの帝国議会で原案が作成され、翌年のメッツの帝国議会で補足されて、公布されたのが「金印勅書」である。全31条からなる条項を持ち、黄金の印章が用いられていたので金印勅書(黄金勅書とも言う)という。これによって「大空位時代」以来の政治的混乱、特に二重選挙の発生が回避されることとなった。その基幹となる条項は、
  • 一、選帝侯はマインツ、トリーア、ケルンの三聖職諸侯、プフアルツ(ライン宮中伯)、ザクセン、ブランデンブルク、ベーメン(ボヘミア)の四世俗諸侯の計七侯に定める=選帝侯
  • 一、選挙は公開投票により多数決原理に従って行われる。
  • 一、選挙権はただ一回しか行使できず、選挙結果に従わない選帝侯は選帝侯位そのものを失う。
  • 一、選挙はフランクフルト市で行い、戴冠式はアーへン市で行う。
  • 一、選挙結果は教皇の承認を必要としない。
  • 一、選帝侯は諸侯の最上位を占め、領内における完全な裁判権、鉱山採掘権、関税徴収権、貨幣鋳造権、ユダヤ人保護権を有する。
 最初の三項目が皇帝選出規定で重要な部分であり、特に二重選挙の可能性が除去されたことが重要である。選帝侯の顔触れで注目すべきは、三人の聖職者が入り、そのうちマインツが首位におかれている点が上げられる。当時、聖職者が政治的な権力も行使したことに注意しよう。また、カール4世自身がベーメン王だったので、選帝侯としての地位も確保したと言える。また、オーストリアのハプスブルク家、バイエルンのヴィッテルスバハ家という有力ニ家が除外されたことも注目される。さらに、皇帝選出にあたってローマ教皇の介入の余地を無くした、4,5項が注目される。第6項は選帝侯が独立した領邦主権を持つことを定めたもので、これによって神聖ローマ帝国(ドイツ)の分権体制が固定化された。

金印勅書の意義

 金印勅書は神聖ローマ帝国、つまりドイツの最高国家法規として位置づけられ、形式的には1806年の神聖ローマ帝国消滅時まで効力を保っていた。その規定は、神聖ローマ皇帝の選挙規定であると同時に帝国議会(諸侯会議)の規則であり、さらに選帝侯の領邦(ラント)主権を認めたものであったので、以後のドイツの分権国家としての枠組みが作られたと言ってよい。ここで認められた領邦主権は当初は選帝侯だけのものであったが、他の諸侯も同等の権利を主張するようになり、次第に認められていく。
 またここで成立した体制は、「基本的には有力諸侯の権利を認めつつ、その諸侯の合意を得て政治を行っていく」というもので、同等の身分としての有力貴族=家臣団をパートナーとして、主として租税賦課をめぐって国王と等族との協議・交渉の場として身分制議会が作られ、権力が国王と諸侯との間に分有される、等族制(または等族=身分制)という政治システムであると言える。<坂井栄八郎『ドイツ史10講』2003 岩波新書 p.63 などによる>

ドイツ王と神聖ローマ皇帝

 金印勅書は、山川の詳説世界史では「ドイツ皇帝選挙の手続きを定め」とある。このドイツ皇帝とは、ドイツ王と神聖ローマ皇帝を併せた意味である。ところで、参考書や資料集には「ドイツ王の選出規定」とあったり、「ローマ国王」とあったりして混乱しやすいが、これらはいずれも「神聖ローマ帝国の皇帝選出規定」と理解して良い。つまり、ドイツ王と神聖ローマ皇帝は事実上、同一になっていた。オットー1世のザクセン朝から12世紀のシュタウフェン朝までは、ドイツ王がローマに赴き、ローマ教皇からの戴冠を受けて初めて神聖ローマ皇帝となるとされていた(そのためイタリア経営に熱心だった)が、叙任権闘争と大空位時代を経て、そのような慣行は不可能となった。1338年にドイツの選挙侯と皇帝は、選挙候によって選ばれたドイツ国王はローマ教皇の許可をまつことなくローマ皇帝とみなされるという「レンス判告」と言われる約定を結び、ローマ教皇の選挙介入を排除していた。ということは神聖ローマ皇帝と言いながらその実態はローマやイタリアとは無関係な「ドイツ王」を意味するだけとなったのであり、したがって、1356年の金印勅書は、ドイツの有力諸侯のみにより、実質的ドイツ王である「神聖ローマ皇帝」を選出することを定めたものである、つまり「ドイツ王=神聖ローマ皇帝」となったといえる。なお、カール4世は、1355年にミラノでイタリア王、56年にローマで皇帝としての戴冠式を挙げ、65年にはアルルでブルグンド王に戴冠して、「ドイツ・イタリア・ブルグンド三国の国王戴冠と神聖ローマ皇帝としての戴冠をすべて果たした最後の皇帝」となった。<坂井栄八郎『ドイツ史10講』2003 岩波新書 p.57,62 などによる>
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第6章3節 コ.ドイツ・スイス・イタリア・北欧
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坂井栄八郎
『ドイツ史10講』
岩波新書