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ザクセン人/ザクセン

ゲルマン人の一部で北西ドイツから5世紀ごろブリテン島に移住、アングロ=サクソン諸国を作った。大陸に残った一部はドイツ東南部に勢力を広げ、ザクセン選帝侯国、王国を作った。

 ゲルマン人の一部族。現在のドイツの北西部、エルベ川流域からフリースラント(ドイツからオランダにかけての海岸地帯)に居住していた。その一部は、5~6世紀にゲルマン人の大移動のなかで、アングル人などと共に北海を渡ってブリテン島に移動し、アングロ=サクソン諸国を立てた。サクソン Saxon はザクセン Sachsen の英語表記である。

ドイツのザクセン

 なおも一部は北西ドイツにとどまり、9世紀初めにフランク王国のカール大帝に征服されサクソニアといわれるようになり、同時にローマ=カトリックに改宗した。9世紀中ごろ、リウドルフィンガー家がザクセン人の諸部族をまとめてザクセン大公といわれるようになり、919年、そのハインリヒ1世は東フランク王(ドイツ王)となってザクセン朝を創始した。次のオットーは東方のマジャール人の侵攻をくい止め、キリスト教世界の防衛の功を立てたことから、962年に西ローマ皇帝の称号が与えられ、これが神聖ローマ帝国の始まりとされている。ザクセン朝は1024年に断絶した。

ザクセン選帝侯国

 ドイツ人の東方植民が活発に行われるに伴い、ザクセン大公領もエルベ川中流域に拡大していゆき、その中心は現在のドイツ東南部のドレスデンを中心とした地域に移っていった。エルベ川中流域のザクセン人の中で有力となったヴェッティン家がザクセン大公として領主となり、ドイツの有力な領邦の一つとなっていった。ザクセン大公は1356年の金印勅書選帝侯となり、16世紀の宗教改革期にはルターを保護したザクセン選帝侯フリードリヒが出ている。
 ザクセン選帝侯国はその後も有力なドイツの領邦国家の一つとして続き、1806年にはナポレオンによって王国に昇格させられたが、1815年からはドイツ連邦に加わった。1871年にはドイツ帝国を構成した。現在はドイツ連邦共和国のザクセン州となっている。
 中世のザクセン選帝侯国の首都ドレスデンはドイツのバロック文化の中心としても栄えた都市であった。第二次世界大戦末期の1945年2月、アメリカ・イギリス両国の空軍によるドレスデン空襲によって多数の犠牲者と共に、ツヴィンガー宮殿などの文化遺産が失われた。
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