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円明園

清朝最盛期に北京に建造された西洋式庭園。アロー戦争で英仏軍の手によって焼かれた。

 の時代の1706年、康煕帝の時、雍親王(後の雍正帝)の離宮として建設された建造物で、イタリア人宣教師カスティリオーネ(郎世寧)が設計した。円明園は乾隆帝時代に増築され、西洋のフランスのヴェルサイユ宮殿を範としたバロック式庭園として建造され、中国最初の噴水を持つ庭園として貴重な文化財となった。しかし、1860年のアロー戦争の時、北京を攻撃したイギリス・フランス軍により略奪、放火され、破壊された。

円明園の焼き討ち

現在の円明園 英仏軍による破壊を今に伝える、現在の円明園

アロー戦争の最中の1860年に英仏軍に焼き討ちされ、破壊された。

 円明園は北京の北西にある名園で、康煕帝の時、宣教師カスティリオーネ(郎世寧)の設計による西洋風の建物と庭園が作られ、フランスのヴェルサイユ宮殿に比べられるバロック式庭園を持っていた。1860年、アロー戦争でイギリス・フランス両軍が北京を占領した際、跡形もなく焼き払われた。両軍兵士は略奪の痕跡を消すために火をつけたという。またこの時、もう一つの離宮であった頤和園も焼かれ、咸豊帝と西太后は北京を逃れ、熱河に避難した。
 円明園は長い間廃墟として放置されててきたが、最近はイギリス・フランス軍の蛮行の歴史的な記録として破壊された状態のまま整備され、公開されている。
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ノートの参照
7章2節 エ.清代の社会と文化
第13章3節 イ.欧米諸国との条約
世界史の旅
円明園