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シベリア

ロシアのウラル山脈東部の大森林地帯。16世紀からロシアの進出が盛んになり、19世紀後半には鉄道が建設される。

 現在のロシア領、ウラル山脈の東部、オホーツク海に至る広大な土地。ほとんどが寒冷な土地で北部はツンドラ地帯、他は大部分が針葉樹林帯で豊かな毛皮の産地であり、南部に農耕可能地があった。13世紀以降、モンゴル帝国の領土となり、15世紀には西シベリアはキプチャク=ハン国、ついでシビル=ハン国が支配していた。シベリアの名は、この国名に由来する。16世紀からロシア(モスクワ大公国)の進出が始まり、主として毛皮を求めて、エニセイ河口まで到達した。

イェルマークの遠征

 モスクワ大公国イヴァン4世(雷帝)の時、1582年にはイェルマークの率いるコサックがシビル=ハン国を滅ぼした。イェルマークは征服した地をイヴァン4世に献上し、モスクワ大公領がウラル以東のシベリアの地に及ぶことになった。次のロマノフ朝の17世紀以降はさらにロシア人の東シベリアへの進出が盛んとなり、特に毛皮商人の活動はしばしばアムール川を越えたので中国の清王朝と衝突することとなった。

ロシアと清の国境策定

 1689年、ロシアのピョートル大帝と清の康煕帝は、初めての国境協定であるネルチンスク条約を締結し、スタノヴォイ山脈からアルグン川の線を国境とした。これは現在のロシア・中国国境から見ればかなりロシア側に食い込んでおり、清側に有利なものであった。しかし1858年のアイグン条約では黒竜江(アムール川)北岸はすべてロシア領とされ、さらにアロー戦争に際しての北京条約で、沿海州はロシア領とされ、ロシアのシベリア全域の支配が確定した。1860年、ロシアはウラジヴォストーク(東方を支配せよ、の意味)を建設、日本海進出の足場とした。
 → シベリア鉄道 シベリア出兵
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ノートの参照
8章4節 カ.東方の新しい動き